『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』カラバッジョ画

1610年7月18日はルネサンス期直後に活躍しバロック画の礎を築いた画家=ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジョの死亡した日である。
その作品は人間の肉体を写実的に描き出し、時として残酷なほどのドラマ性とリアリティを帯びたものであったが、カラバッジョの私生活もドラマ性に事欠くことはなく、常に争いごとの渦中にいた人物であった。その最悪のエピソードとしては、乱闘中に殺人を犯してしまったというもので、1606年5月29日に、ラヌッチオ・トマゾーニなる若者を殺してしまったカラバッジョはローマを脱出し、ナポリ、マルタに拠点を移したといわれる。それ以前にも投獄や脱獄、死刑宣告などといった負の武勇伝には事欠かない。そのため、没後の評価はあまり高いものではなく、イタリアの紙幣にその顔が採用されることになった際には、“人殺しの顔を紙幣にするのはいかがなものか”という声も多数上がったほど。しかし、20世紀になってその美術面での功績が再評価され、いまやバロック最大の画家とも呼ばれている。この『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』で描かれたヨハネの生首は自らの自画像といわれており、殺人後にその身を匿ってもらったマルタでの非礼をわびるために贈ったものといわれている。“ローマで最も有名な画家”から殺人逃亡犯にまで転落したその人生の落差の中で、絵の中でとはいえ、カラバッジョが自らの首を差し出したことは何を意味している呪うか? その理由を《罪悪感》なのか、それとも——。果たして、《芸術家にモラルは必要か?》その大きな命題を考えるにあたり、カラバッジオの人生ほど有用な教材も存在しないであろう。

(画像はWikipedia Caravaggioより。Public Domain)

7月18日の不幸

1610年
【死去】ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)【画家/イタリア】

ルネサンス期直後に活躍しバロック画の礎を築いたローマ期で最も有名な画家のひとり。その作品は人間の肉体を写実的に描き出し、時として残酷なほどのドラマ性とリアリティを帯びたものであったが、カラバッジョの私生活もドラマ性に事欠くことはなく、常に争いごとの渦中にいた人物であった。1606年5月29日に、ラヌッチオ・トマゾーニ乱闘中に殺害し、ローマを脱出し、ナポリ、マルタ、シチリアを転々としたが1610年にナポリへと帰還。その後恩赦を受けるためにローマへと向かったがその途中で死去。暗殺とも熱病ともいわれたその死因であったが、近年は鉛中毒であったという見方が有力である。没年38歳。

1988年
【事故死】ニコ(Nico)【歌手・女優・ファッションモデル/ドイツ】

10代の頃からヨーロッパを中心にファッションモデルとして成功し、女優、歌手活動も開始。ニューヨークに活動拠点を移し、当時時代の寵児だったアーティスト、アンディー・ウォーホールのミューズとなり、その実験映画への出演やヴェルヴェット・アンダーグラウンドへの参加などで世界の注目を集めた。その後は歌手、ミュージシャンとしてソロ活動を続けるが、移り住んだスペイン・イビサ島の自宅近郊で自転車で転倒し頭を強打。脳内出血死亡した。没年49歳。

1989年
【殺人未遂】【自殺】ドニー・レイ・ムーア(Donnie Ray Moore)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

主にカリフォルニア・エンゼルスのストッパーとして活躍し通算43勝(40敗)89セーブを挙げたメジャーリーガー。引退後の1989年7月18日に妻のトーニャと口論の末拳銃を3発発射。娘が母親を病院に連れて行っている間に自らも拳銃自殺した。没年35歳。ちなみにトーニャは一命を取り留めた。

1989年
【殺人事件】レベッカ・シェイファー(Rebecca Lucile Schaeffer)【女優/アメリカ合衆国】

テレビドラマ『My Sister Sam』への出演で人気を博し将来を嘱望されていた新進女優。サマンサ・スミスをストーキングしていたロバート・ジョン・バルドに3年間ストーキングされた後に射殺された。没年21歳。当時レベッカと交際していた映画監督のブラッド・シルバーリングは、この時に体験しを基に、映画『ムーンライト・マイル』を制作した(2002年)。ちなみにバルドは終身刑となったが、1980年にジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマン同様に『ライ麦畑で捕まえて』を持ち歩いていた。

1995年
【事故死】 ファビオ・カサルテッリ(Fabio Casartelli)【自転車競技選手/イタリア】

1992年のバルセロナオリンピックの自転車個人ロードレースで金メダルを獲得し、1993年プロ転向。1995年にモトローラチームとしてツール・ド・フランスに出場し、7月18日の第15ステージにおいて、ピレネー山脈のポルテ=ダスペ峠の下り坂で落車。縁石で顔と頭を強打し、ヘリコプターで病院に搬送されたものの死亡した。没年24歳。ヘルメットを装着していなかったことがその死因といわれている。なおその事故現場近くにはその功績を称えたモニュメントが設置され、事故後の数年間はツール・ド・フランスのレース中に競技者がその前で停止するなど哀悼の意を表されるシーンが見受けられた。

1995年
【死去】笹川良一【政治家・活動家】

1931年に国粋大衆党を結成しその総裁を務め、日本にファシズムを根付かせようとした右翼活動家であり、衆議院議員。第二次大戦直後は連合国側からA級戦犯として収監されていたが不起訴により釈放。出所後はモーターボート競走法の成立に奔走し、「社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)」の設立に尽力。その後は日本船舶振興会を創設してその会長として活動し、政財界に大きな影響を持ち続ける"右翼の大物"として黒幕的な存在感を放っていた。一説によるとCIAのエージェントであったともいわれているが真相は定かではない。急性心不全で没年96歳。

2002年
【自殺】戸川京子【女優・タレント】

5歳の頃から劇団ひまわりに所属し、子役として活動。その後もファッションモデル、タレント、女優としてマルチに活動した人物。私生活では1993年にロックバンドZIGGYのドラマー、大山正篤と結婚するも離婚。実姉に歌手の戸川純がいる。晩年は鬱病を患い、2002年7月18日に東京都内の自宅マンションで首吊り自殺をしているところを事務所スタッフにより発見された。没年37歳。幼い頃から患っていた喘息を苦にしての自殺と言われているが真相は不明。

2011年
【自殺】一志【ミュージシャン】

2004年にメジャーデビューしたヴィジュアル系ロックバンド「Kagrra」のヴォーカルとして知られているロック・ミュージシャン。2011年3月3日でバンドを解散し、同年7月18日に自殺。没年32歳。