『ブレーメン博物館などで展示されていたへへ族の指導者、ムクワワの頭蓋骨』

1898年7月19日は、ドイツによる東アフリカ侵略に最後まで激しく抵抗したへへ族のリーダー、ムクワワが自殺を遂げた日である。
第一次大戦以前、ヨーロッパ諸国の領土拡大のための草刈り場となっていたアフリカ大陸にあって、現在のブルンジ、ルワンダ、タンザニアである東アフリカ地域もその例外ではなく、ドイツに侵略をされドイツ領東アフリカとされた。そのタンザニア地域で最後まで戦った部族のリーダームクワワは、植民地長官エミール・フォン・ツェレウスキの軍を破りその量感を殺害するなど、めざましい抵抗をみせたのだが、最後は大軍を送り込んできたドイツ軍の前に敗走し、拘束される直前で拳銃自殺を遂げた。
するとその頭骨はドイツのベルリンに持って帰られ、博物館で展示される《勲章品》となったのだ。第一次大戦後、1919年のヴェルサイユ条約には、ムクワワの頭骨の返還が規定されたのだが、ドイツはそれを拒否、その返還は第二次大戦後、ドイツが国際的な大敗を喫してようやくなされたというから(しかもタンガニカ総督が展示されているところまで乗り込んで初めて)、ドイツにとって、先住民の首がいかに大切だったかがわかるというものだ。
 驚くのは、これが今からたった100年前に行なわれていたということなのである。いわゆる《首狩り族》が相手の首を《トロフィー》と呼んで誇る風習を見ると、我々は彼らを自らとは違う、遅れた、野蛮な民族であると感じるだろう。しかしそれとほぼ同様の行為を、ヨーロッパ先進国の、経済大国の、実利主義大国のドイツがたった100年前まで行なっていたのである。そう考えると民族間の文化の差異は、未開と先進国との文化的な差異は、我々が今感じているよりも遙かに小さいのかもしれない。ムクワワの頭蓋骨を見舞った“不幸”は、その何よりの証明である。

(写真はWikipedia Mkwawaより。Open Goverment Licence)

7月19日の不幸

1868年
【死去】沖田総司【武士】

江戸時代末期に結成された新選組で一番隊組長を務めた人物。若くしては天然理心流の塾頭を務めた凄腕の剣豪として知られており、組の中でも常に率先して最も重要な役割を担い、芹沢鴨や内山彦次郎の暗殺に於いても主導的な活躍をした人物であるといわれている。1867年以降は体調を崩し、1868年5月17日に局長の近藤勇が斬首された2カ月後の7月19日に死亡した。死因は肺結核といわれている。生年不明のために、没年齢は24歳、25歳、27歳の3つの説が存在する。

1898年
【自殺】ムクワワ(Mukwavinyika, "Mukwwa")【民族指導者/タンガニカ】

ドイツ領東アフリカ(現在のブルンジ、ルワンダ、タンザニアにあたる場所)の先住民族「ヘヘ族」の指導者。ムクワワ率いるへへ族はタンザニア地域で最後まで戦い、植民地長官エミール・フォン・ツェレウスキの軍を破りその量感を殺害するなど、めざましい抵抗をみせたが、最後は大軍を送り込んできたドイツ軍の前に敗走し、拘束される直前で拳銃自殺を遂げた。没年43歳。死後その頭骨はベルリンで展示されたが、1954年に返還され、ムクワワ記念博物館に収蔵されている。

1944年
【戦死】【早世】新井茂雄【競泳選手】

静岡県立浜松農蚕学校から立教大学へと進み、1936年ベルリンオリンピックの800メートルリレーで金メダル、100メートル自由形で銅メダルを獲得した戦前の日本を代表する競泳選手。遊佐正憲、田口正治、杉浦重雄と出場した800メートルリレーでアンカーを務め、8分51秒5という当時の世界新記録を樹立した。第二次世界大戦において従軍したビルマ(現ミャンマー)で1944年7月19日に戦死。没年27歳。

2004年
【死去】鈴木善幸【政治家】

水産講習所を経て全国漁業組合連合会、岩手県漁業組合連合会、中央水産業会企画部次長歴任した後に政治家に転身。日本社会党から1947年の衆議院選に出馬し当選。しかし、野党としての活動に限界を感じ、1期で保守政治家に転向。吉田茂の民主自由党に移って以降頭角を現わし、郵政大臣、内閣官房長官、厚生大臣、農林大臣を歴任し、前首相大平正芳の急死を受けて1980年7月17日に日本の第70代内閣総理大臣に就任した。"和の政治"をモットーに臨んだ在任中も党内の不満が噴出し、1982年の総裁選に不出馬、短期間で中曽根康弘にその座を明け渡すこととなった。1990年に政界から引退し、2004年に肺炎で93歳没。

2009年
【事故死】ヘンリー・サーティース(Henry Surtees)【レーシングドライバー/イギリス】

史上唯一2輪のWGP(ロードレース世界選手権)と4輪のF1(フォーミュラー1世界選手権)の両方でチャンピオンを獲得したジョン・サーティースを実父に持ち、F3、F2で優勝するなど順調にステップアップしていたレーシングドライバー。 2009年F2第4戦地元イングランドのブランズハッチで行なわれたレース2で、ジャック・クラークのマシンがクラッシュしタイヤが外れたところ、ヘンリーのヘルメットを直撃。その後ヘンリーのマシンもクラッシュし、病院に搬送されたが頭部数カ所の損傷により死亡。中でも、タイヤの直撃が致命傷であった。没年18歳。

2010年
【早世】【急死】佐藤大基【サッカー選手】

船橋市立船橋高等学校を経て、2007年当時J2のザスパ草津に入団したミッドフィールダー。2009年まで同クラブで活躍したが、JSC CHIBAに移籍した2010年の7月19日に心筋梗塞で急死。没年21歳。

2011年
【死去】原田芳雄【俳優・歌手】

俳優座を経て、独立。映画『竜馬暗殺』『ツゴイネルワイゼン』『どついたるねん』を始め、数々の映画やドラマでセクシーな無頼漢として独特な存在感を放った個性派俳優。2008年11月に早期の大腸ガンと診断され入院。2011年7月19日に肺炎で死亡したが、2008年11月の時点で末期ガンであったことが明かされた。没年71歳。遺作は自らが企画した映画『大鹿村騒動記』であり、亡くなる3日前の7月16日に封切られた。同年7月11日試写会で、車椅子で現われたのが最後の姿となった。7月22日に行なわれた葬儀の喪主は長男・喧太が務め、弔辞は石橋蓮司と石橋冠が読んだ。

2014年
【事故死】【早世】スカイ・マッコール・バートシアク(Skye McCole Bartusiak)【女優/アメリカ合衆国】

7歳の頃にデビュー。『パトリオット』『サイダーハウス・ルール』等の映画で美少女子役として活躍した女優。成長後も女優業を続けていたが、2014年7月19日にテキサス州の自宅で就寝中に急逝。母親により、てんかんの発作による窒息死と発表された。没年21歳。