『若き日のクラウス・フォン・シュタウフェンベルクのポートレート』

1944年7月21日は、前日に決行された「ヒトラー暗殺計画」の実行犯、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクが銃殺された日である。公爵の位を持つような貴族の出身だったクラウスは、他のブルジョア層がそうであったように、ナチスドイツの反ユダヤ主義に嫌悪感を示していた。そして敗戦濃厚な1944年7月に、一刻も早くヒトラーを暗殺しクーデターを成功させ、米・英国軍に降伏をすべしとの「ヒトラー暗殺計画」がルートヴィヒ・ベック上級大将らによって秘密裏に進められており、そこに大尉にまで出世してヒトラーのそばに近付くことのできるようになったクラウスが実行犯を買って出たのだった。そしていよいよ決行の日、「狼の巣」での会議に2つ持ち込むはずであった時限爆弾が、慌てたために1つだけとなり、爆風はヒトラーを直撃することもなく終わったのだった。爆破の直前に姿を消したクラウスは程なく逮捕、即刻の軍法会議にかけられた後に銃殺された。第二次大戦の激戦の中をくぐり抜けたクラウスは左目と右手を失い、さらに左手の指は3本しか残っていなかったが、毅然とした態度でヒトラーからも一目を置かれる期待の青年将校だった。しかし、そんな誇り高き軍人の標的になりながらも逃げ延び、この時を除いても幾度となく暗殺を切り抜けて最後の自殺まで辿り着いたヒトラーの悪運も凄まじいものがある。
ちなみにクラウスはその死後、勇気をもってヒトラーと戦った“終戦後ドイツのヒーロー”として今も語り継がれているという。

(写真はWikipedia クラウス・フォン・シュタウフェンベルクより。Public Domain)

7月21日の不幸

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