『若き日のクラウス・フォン・シュタウフェンベルクのポートレート』

1944年7月21日は、前日に決行された「ヒトラー暗殺計画」の実行犯、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクが銃殺された日である。公爵の位を持つような貴族の出身だったクラウスは、他のブルジョア層がそうであったように、ナチスドイツの反ユダヤ主義に嫌悪感を示していた。そして敗戦濃厚な1944年7月に、一刻も早くヒトラーを暗殺しクーデターを成功させ、米・英国軍に降伏をすべしとの「ヒトラー暗殺計画」がルートヴィヒ・ベック上級大将らによって秘密裏に進められており、当時大尉にまで出世してヒトラーのそばに近付くことのできるようになったクラウスが、実行犯を買って出たのだった。第二次大戦の激戦の中をくぐり抜けたクラウスは左目と右手を失い、さらに左手の指は3本しか残っていなかったが、毅然とした態度でヒトラーからも一目を置かれる期待の青年将校だったのだ。そしていよいよ決行の日、「狼の巣」での会議に2つ持ち込むはずであった時限爆弾が、慌てたために1つだけとなり、爆風はヒトラーを直撃することもなく失敗に終わったのだった。爆破の直前に姿を消したクラウスは程なく逮捕、即刻の軍法会議にかけられた後に即日銃殺された。その死後、勇気をもってヒトラーと戦った“終戦後ドイツのヒーロー”として今も語り継がれているという。

(写真はWikipedia クラウス・フォン・シュタウフェンベルクより。Public Domain)

7月21日の不幸

1944年
【自殺】ルートヴィヒ・ベック(Ludwig August Theodor Beck)【軍人/ドイツ】

第一次大戦後の1935年に参謀本部総長に就任し、ドイツ陸軍の正常化に努めた人物。ナチス政権の侵略政策に懐疑的な立場をとり、1938年8月に辞任。以降退役したまま、「ヒトラー暗殺計画」の中心人物として暗躍し、成功の暁には国家元首に就任する予定であった。しかし1944年7月20日のシュタウフェンベルク大佐による暗殺計画が失敗に終わり、ベルリンで逮捕。フリードリヒ・フロム将軍により自殺を許され、拳銃自殺を図ったものの失敗し、その部下によりとどめを刺された。没年64歳。

1944年
【処刑】クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg)【軍人・貴族/ナチスドイツ】

1944年7月20日に起きた「ヒトラー暗殺計画(7月20日事件)」の実行者として知られるナチスドイツの軍人。公爵貴族の出身のクラウスはナチスドイツの反ユダヤ主義に嫌悪感を抱いており、「ヒトラー暗殺計画」に加わり、1944年7月20日の「狼の巣」での爆殺の実行犯を買って出た。しかし爆発には成功したものの爆風はヒトラーを直撃することもなく暗殺は失敗。爆破の直前に姿を消したクラウスは翌日逮捕され、即日銃殺された。没年36歳。左目と右手を失い、さらに左手の指は3本しか残っていなかったが、その死後、勇気をもってヒトラーと戦った"終戦後ドイツのヒーロー"として今も語り継がれている。

1967年
【事故死】ジミー・フォックス(James Emory "Jimmie"Foxx)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

1930年代にフィラデルフィア・フィリーズ、ボストン・レッドソックスの大砲として活躍したメジャーリーガーで、同時代に活躍したベーブ・ルースやルー・ゲーリッグと並び、"MLB史上最強の右打者"に数えられる一塁手。選手生活の最晩年はアルコール依存症や不眠症に悩み成績を急落させたものの、リーグMVP3回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回、そして1933年には三冠王を獲得するなどメジャーリーグ史上に残る華々しい成績を残した。通算打率.325、2646安打、534本塁打、1922打点。1951年にアメリカ野球殿堂入り。生来の浪費癖がたたり晩年は貧しい生活を送っていたという。1967年7月21日の食事中にものを喉に詰まらせ窒息死。没年59歳。2番目の妻ドロシーも前年窒息死していた。

1998年
【死去】アラン・シェパード(Alan Bartlett Shepard Jr.)【軍人・宇宙飛行士/アメリカ合衆国】

アメリカ海軍のテストパイロットを経て、アメリカ合衆国最初の宇宙飛行計画「マーキュリー計画」で選ばれた7人の宇宙飛行士「マーキュリー・セブン」の一人となった人物。1961年5月5日にマーキュリー3号へ搭乗しアメリカ人初の宇宙飛行に成功した。1971年2月にはアポロ14号の船長を務め、月面に着陸。月面に降りた5人目の人間となり、月面でゴルフをするというパフォーマンスで話題を呼んだ。退役後の1998年7月21日に合併症で74歳没。その功績を称え、アメリカ海軍はルイス・アンド・クラーク級貨物弾薬補給艦3番艦を"アラン・シェパード"と命名した。

1999年
【自殺】江藤淳【文芸評論家・教育者】

戦後日本を代表する文芸評論家として活躍した人物。代表作に『奴隷の思想を排す』『海は甦える』等。長きにわたり東京工業大学、慶應義塾大学の教授として勤めた教育者でもあり、日本文藝家協会理事長等も歴任した。1999年7月21日に首吊り自殺。没年66歳。遺書には「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」とあり、前年にガンで病死した妻の慶子を後追いした自殺といわれている。

2004年
【死去】ジェリー・ゴールドスミス(Jerry Goldsmith)【作曲家/アメリカ合衆国】

事務員としてCBSに入社後、その音楽的才能を活かして音楽部門に転属。ラジオドラマ等への楽曲提供からキャリアを始め、テレビ、映画音楽に進出。以降、生涯170作以上の映画音楽を手がけたアメリカの代表的映画音楽作曲家。1976年の映画『オーメン』でアカデミー作曲賞を受賞。その他『猿の惑星』『パットン戦車団』『スタートレック』『ポルターガイスト』『トワイライトゾーン』『ランボー』『グレムリン』等数多くの人気作品で長きにわたる活躍を見せた。肝臓ガンで72歳没。