『ブエノスアイレスの路上に300万人が集まったというエヴィータの葬儀』

1952年7月26日は、アルゼンチンのファン・ペロン大統領夫人として国民的な人気を博した“エヴィータ”ことエヴァ・ペロンが死亡した日である。
私生児として生まれ、一時は売春婦として生計を立てるなど貧しい身の上ながらにグラビアモデル、女優として出世し、大統領になる前のファン・ペロンと交際することになったが、当初は愛人関係であった。しかし、ペロンの政治宣伝を担当すると、生来の魅力溢れる人となりとそのスピーチの才能で貧しい国民たちの爆発的な人気を獲得。ペロンが1946年に大統領に就任した際には、押しも押されぬパートナーとして夫人の座に納まり、エヴィータはファーストレディとなったのだった。その後はまともな教育を受けていないにもかかわらず、夫からの信頼を背景に国政にも積極に参加し続けたことで、マスメディアや政敵からは様々な批判を浴びたエヴィータであったが、労働者層を中心とした国民には愛され続けた。33歳での早世もまた、国民の心に美しく刻まれる思い出であり、現在でもその人気は絶大である。300人が見送ったというこの壮大な写真は、今もなおアルゼンチン国民の脳裏にはありありと焼き付いている光景であろう。

(写真はWikipedia Diane Arbusより)

7月26日の不幸

1952年
【早世】エヴァ・ペロン(Eva Perón)【女優・モデル・大統領夫人/アルゼンチン】

1946年にアルゼンチンの大統領に就任したファン・ペロン大統領夫人として国民的な人気を博した人物。愛称の"エヴィータ"はラジオドラマに出演した際に使われ始めた。私生児として生まれ、一時は売春婦として生計を立てるなど貧しい身の上ながらにグラビアモデル、女優として出世し、ペロンの政治宣伝を担当すると、生来の魅力溢れる人となりとそのスピーチの才能で貧しい労働者層を中心に国民の爆発的な人気を獲得。夫からの信頼を背景に国政にも積極に参加し続けた。1952年7月26日に子宮ガンで死亡。没年33歳。ブエノスアイレスで行なわれた葬儀には、300万人の国民が詰めかけた。

1971年
【自殺】ダイアン・アーバス(Diane Arbus)【写真家/アメリカ合衆国】

ファッションフォトグラファーとしてキャリアをスタートし、その後、フリークス、奇形や性的マイノリティの人々ををテーマに撮り続けた写真家。晩年は鬱病により心身を病み、1971年7月26日に浴室で両手首を切って自殺しているところをアートディレクターのマーヴィン・イスラエルにより発見された。没年48歳。その日記には"最後の晩餐"とだけ書き残されていた。

2004年
【事故死】中島らも【小説家・劇作家・俳優・ミュージシャン】

兵庫県尼崎市出身で重度の飲酒、薬物なども辞さない荒唐無稽な人生から生み出される強烈なユーモアと独特な美学でカリスマ的人気を獲得し、生涯関西から文化を発信し続けた多才な表現者。代表作に小説『頭の中がカユいんだ』『今夜、すべてのバーで』『ガダラの豚』等。その他に「笑殺軍団リリパットアーミー」を結成し脚本を手がけ、松尾貴史、鮫肌文殊ら自らも出演し演劇活動も行なった。2003年2月4日に麻薬及び向精神薬取締法違反、大麻取締法違反で逮捕されたことも。晩年はアルコール依存症と躁鬱病、ナルコレプシーに苛まれ、目のかすみから執筆不能な状態になり、口述筆記で仕事を続けた。2004年7月15日に神戸で開催された三上寛とあふりらんぽのライブに参加し、出演後に飲酒して出演者と別れた直後、翌16日未明に飲食店の階段から転落し頭部を強打。脳挫傷による外傷性脳内血腫で手術を受けたまま意識不明となり、本人の希望で7月26日8時16分に人工呼吸器を停止。没年52歳。