『大原麗子のプロモーション用レコード「さりげなく悪いやつ/待つことになれて」のジャケット』

2009年8月3日は、昭和を代表する女優の大原麗子が死亡した日である。
昭和の日本を代表する女優としての華やかなキャリアには全く不釣り合いな“自宅での孤独死”という彼女の最後は、女優という職業の持つ《光と影》を、まざまざと感じさせる死に様だったといえよう。
私生活では渡瀬恒彦、森進一というどちらも芸能界を代表するビッグスターとの結婚もあったが、いずれも自らの仕事を優先する大原の生き様にはそぐわなかったのだろう、ともに短い夫婦生活に終わっている。森との離婚会見での「家庭に男が二人いた」と言う発言は、1984年当時の世間を騒がせたフレーズであるが、豊田真由子の罵倒騒ぎが世間を賑わす現代日本社会からすると隔世の感がある言葉である。

(画像はプロモーション用レコード「さりげなく悪いやつ/待つことになれて」のジャケット』(ワーナー・パイオニア/1978年))

8月3日の不幸

1924年
【死去】ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)【小説家/イギリス】

映画『地獄の黙示録』の原作小説『Heart Of Darkness(闇の奥)』の作者として知られるイギリスの小説家。ポーランド没落貴族の家に生まれ、独立運動家だった父親は逮捕、早々に母親を失った後に船乗りとなってポーランドから脱出し、自殺未遂を起こしながらも世界を航海するなど、激動の半生を元にした作品を発表。人間の真実を暴くモダニズム小説の先駆けとなった。1924年8月3日に心臓発作で死亡。没年66歳。カンタベリーの墓地に本名の「Teodor Józef Konrad Korzeniowski」として埋葬された。

1958年
【事故死】【早世】ピーター・コリンズ(Peter John Collins)【レーシングドライバー/イギリス】

1952年にHWMからF1にデビューし活躍したF1草創期のレーシングドライバー。1956年シーズンにフェラーリに移籍し第4戦ベルギーグランプリで初優勝。続くフランスグランプリでも優勝し、結果的にはドライバーズランキング3位で終了。優勝の可能性を残したまま臨んだシーズン最終戦イタリアグランプリでチームメイトのファン・マヌエル・ファンジオにマシントラブルが発生。その時自らのマシンを彼に譲ったというチーム優先のエピソードで広く知られている。1958年、祖国で行なわれた第8戦イギリスグランプリに2年ぶりの優勝を果たしたが、直後の第9戦ドイツグランプリで事故死。没年26歳。オーバースピードでコーナーに侵入し横転、コース脇の森に放り出されたコリンズは、頭部に致命的な損傷を受けて、ほぼ即死であった。5週目から先頭を走っていた矢先の悲劇であった。

2000年
【早世】マッスル北村【ボディービルダー】

1985年にIFBBミスターアジア90キロ以下級(ライトヘビー級)優勝、1999年にはWABBA太平洋世界選手権総合優勝を果たした日本を代表する伝説的ボディビルダー。『さんまのナンでもダービー』『よいこっち』等のテレビバラエティでもタレントとして活動したが、2000年8月3日に低血糖状態となり急性心不全で死亡。没年39歳。ボディビルの世界選手権に参加するために20キロという急激な減量を敢行しており、死の数日前にも救急車で運ばれていたところであったという。死亡時の体脂肪率は3%を以下であったという。

2004年
【死去】アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)【写真家・画家/フランス】

写真集のタイトルにもなった"The Decisive Moment(決定的瞬間)"のフレーズで広く記憶される、レンジファインダーのライカと50ミリの標準レンズを使用したスナップ写真の作品群で20世紀を代表する活躍をみせた世界的写真家。1947年にロバート・キャパらとともに国際写真家集団「マグナム・フォト」の結成にも携わった。1975年以降はほとんど写真を撮影せず、写真家としては引退。以降は若き日に志した画家としての活動を再開させ、1975年にニューヨークのカールトンギャラリーで初の絵画展を開催した。2004年8月3日に南フランス・プロヴァンスの別荘で死去。没年95歳。死因は発表されていない。

2008年
【死去】アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Aleksandr Isayevich Solzhenitsyn)【小説家/ロシア】

1945年にスターリン批判を咎められ逮捕。政治犯として投獄された時の経験を活かしソ連の強制収容所・グラグを世界に告発した小説『収容所群島』『イワン・デニーソヴィチの一日』等を発表した20世紀のロシアを代表する小説家。1970年にノーベル文学賞を受賞したが、1974年に市民権を剥奪されソ連から追放され、ソ連崩壊後のロシアに1994年となってから帰国した。2008年8月3日にモスクワの自宅にて心不全で89歳没。

2009年
【孤独死】大原麗子【女優】

映画『網走番外地』シリーズへの出演、映画『男はつらいよ』シリーズのマドンナ役、NHK大河ドラマ『春日局』の主演、そして「すこし愛して、ながーく愛して」と言うフレーズで知られるサントリーレッドのCM等、昭和期の理想的な日本女性像を演じ続けたスター女優。私生活では渡瀬恒彦、森進一というどちらも芸能界を代表するビッグスターとの結婚もあったが、いずれも短い夫婦生活に終わっている。1975年にギラン・バレー症候群を発症し、1992年には乳ガンを発症し手術。1999年11月にギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止したが、その後再開。その後仕事から遠ざかっていた2008年11月に自宅で転倒し右手首の骨折。翌年2009年8月6日に、実弟が警察に通報により自宅で死亡しているところを発見され、"スター女優の孤独死"として社会的話題となった。行政解剖の結果、死亡推定日時は8月3日と発表された。 没年62歳。死因は不整脈による脳内出血。