『日本代表でプレイしていた時の松田直樹』

2011年8月4日は、日本を代表するフットボールプレイヤーであり、日本人離れした大きなスケールのディフェンダーであった松田直樹が、34歳の若さで死亡した日である。
8月2日の練習中に急性心筋梗塞で倒れた松田は、すぐさま病院に搬送されたが、一度も意識を取り戻すこともなく2日後に死亡した。まだ34歳という年齢の現役選手で、しかも日本代表で長らく活躍した有名な選手であっただけに、日本スポーツ界に与えたショックは史上類を見ないほどのものだったといえる。
だが、世界的にみれば、2003年のフォエ(カメルーン)の急死に始まり、2007年にはプエルタ(スペイン)、2009年にはハルケ(スペイン)と、トップレベルの現役フットボール選手が相次いで急死していたことの延長線上に起きた悲劇であったともいえるだろう。原因としてヨーロッパのクラブシーンでの過密日程が挙げられる他には、現代サッカーのプレイスタイルが、技術よりもフィジカル重視で、絶えず短距離移動と長距離移動とが要求され続けるという“心臓を酷使する”競技と化している点も無関係であるとはいえないだろう。

(画像はWikipedia Naoki Matsudaより)

8月4日の不幸

1992年
【死去】松本清張【小説家】

印刷工場勤務、広告図案製作、第二次世界大戦での軍役を経て1951年に小説家に転身。翌年発表した『記憶」「或る『小倉日記』伝」が第28回芥川賞を受賞し、上京。1955年頃から本格的に作家に専念し、『点と線』『眼の壁』『ゼロの焦点』等のベストセラー推理小説を連発。清張の作風は"社会派推理小説"と呼ばれ、一時代を築いた。また、並行して『小説帝銀事件』『日本の黒い霧』等実際の事件に基づいたノンフィクションも手がけ、一躍スター作家に登り詰めた。1992年4月20日に脳出血で入院。手術は成功したものの、同年7月頃から容体が悪化し、肝臓ガンと診察を受けた後の8月4日に死去した。没年82歳。その遺書には「自分は努力だけはしてきた」等と書かれていた。

1996年
【死去】渥美清【俳優・コメディアン】

浅草のストリップ劇場である百万弗劇場、フランズ座などでコメディアンとして活躍した後にテレビ、映画に進出。1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で生涯にわたる当たり役、車寅次郎を演じ、すぐさま映画化。映画『男はつらいよ』は大ヒットでシリーズ化され、以降27年にわたり48作もの長寿シリーズとなった。1991年に肝臓ガンと診断され、1994年には肺に転移したことが判明。1996年7月末に手術を受けたが、1996年8月4日午後5時10分に転移性肺ガンで死亡。没年68歳。「俺の痩せ細った死顔を他人に見せたくない」という渥美の遺言により密葬を行ない、8月7日に松竹からその死が公表された。その死後、国民栄誉賞が贈られた。

1997年
【死去】ジャンヌ・カルマン(Jeanne-Louise Calment)【主婦/フランス】

世界最高齢記録122歳164日を誇るフランス人女性。確実に120歳を超えた人類史上唯一の人物でもある。老衰で122歳没。

2011年
【急死】【早世】松田直樹【サッカー選手】

日本を代表するフットボールプレイヤーであり、日本人離れした大きなスケールのディフェンダー。横浜マリノス、松本山雅FCで活躍。日本代表でも長らく活躍し、2002年日韓ワールドカップでは主力として日本代表としては初となる決勝トーナメントベスト16入りに貢献した。8月2日の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、すぐさま病院に搬送されたが、一度も意識を取り戻すこともなく2日後に死亡した。没年34歳。