『ベルリンの壁を越えようとして狙撃されて絶命した時のペーター・フェヒター』

1962年8月17日は、ドイツにまだベルリンの壁が存在した時代、西側に住む姉妹と暮らすために東ドイツ側から壁を乗り越えようとした当時18歳のレンガ職人、ペーター・フェヒターが射殺された日である。
一緒に超えようとした湯人は無事に壁を乗り越えたが、東ドイツ側の衛兵から狙撃されたペーターは壁の脇の無人地帯に落ち、有刺鉄線に絡まったまま動けずに助けを求めていたが、西ドイツ側から見守った人々の「救出してやれ!」という声も虚しく狙撃者たちは救出をせず傍観、1時間ほどでペーターは出血多量死することとなった。
なお、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツ統一後に狙撃者たちは有罪判決を受けている。今日のドイツの日常は、このような悲劇のもとに築かれている。

(写真はWikipedia Peter Fechterより使用)

8月17日の不幸

1920年
【事故死】【試合中】レイ・チャップマン(Raymond "Ray" Johnson Chapman)【プロ野球選手/アメリカ】MLBのクリーブランド・インディアンスで活躍した名ショート。ニューヨーク・ヤンキース戦で相手ピッチャー、カール・メイズが投じた速球が側頭部に直撃、頭蓋骨陥没骨折を起こして翌日死亡した。1909年に、試合中に壁に激突死したダク・パワーズに続き、二人目の試合中の死亡者となった。チャップマンの死後、メイズの投げた球がビーンボール(故意にぶつける球)であったかどうかで議論を呼んだ。

メジャーリーグベースボールのクリーブランド・インディアンスで活躍した名ショート。ニューヨーク・ヤンキース戦で相手ピッチャー、カール・メイズが投じた速球が側頭部に直撃、頭蓋骨陥没骨折を起こして翌日死亡した。1909年に、試合中に壁に激突死したダク・パワーズに続き、二人目の試合中の死亡者となった。チャップマンの死後、メイズの投げた球がビーンボール(故意にぶつける球)であったかどうかで議論を呼んだ。

1964年
【事故死】佐田啓二【俳優】

同時期に活躍した鶴田浩二らとともに終戦後の映画界を牽引した二枚目スター俳優。1953年の映画『君の名は』で絶大な人気を獲得した。実子にエッセイストの中井貴恵、俳優の中井貴一がいる。1964年8月17日の早朝、避暑地からNHKドラマ『虹の設計』の撮影に向かう途中の韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に激突。運転手が前方の車を追い越そうとした結果、通行中の車も巻き込む大規模な交通事故に発展。頭蓋骨を骨折し、死亡した。没年37歳。

1967年
【射殺】【東西ドイツ】「ベルリンの壁でペーター・フェヒターが銃殺」西側に住む姉妹と暮らすために東ドイツ側からベルリンの壁を乗り越えようとした当時18歳のレンガ職人、ペーター・フェヒターが射殺された。一緒に超えようとした湯人は無事に壁を乗り越えたが、東ドイツ側の衛兵から狙撃されたペーターは壁の脇の無人地帯に落ち、有刺鉄線に絡まったまま動けずに助けを求めていたが、西ドイツ側から見守った人々の「救出してやれ!」という声も虚しく狙撃者たちは救出をせず傍観、1時間ほどでペーターは出血多量死することとなった。
1987年
【自殺】ルドルフ・ヘス(Rudolf Walter Richard Heß)【軍人・政治家/ナチスドイツ】

ヒトラー政権下で国家社会主義ドイツ労働者党副総統、ヒトラー内閣無任所大臣、親衛隊大将等の要職を務めたナチス・ドイツの副総統。ヒトラーの個人秘書、そしてその著書『我が闘争』での口述筆記を務めるなど、独裁者の片腕として活躍したが、その実権は有名無実であったともいわれている。1941年5月10日に和平のためイギリスに向かい、そのまま国家捕虜に。終戦後のニュルンベルク裁判では記憶喪失を主張するなど奇行をみせていたが、偽装であったと自白。公判では10人の死刑を免れた人物の一人となり、終身刑でシュパンダウ刑務所に服役したが、1987年8月17日に同所内の庭の設備の電気コードで首を吊り自殺。没年93歳。その以前にも二度自殺を図っており、ポケットの遺書から鬱病による自殺であったと断定された。ニュルンベルク裁判にかけられた中では最後の囚人であったため、その死をもってシュパンダウ刑務所は閉鎖となった。

1998年
【事故死】ウラディスラフ・コマル(Władysław Komar)【陸上競技選手/ポーランド】

1972年ミュンヘンオリンピック砲丸投げで金メダルを獲得したポーランドを代表する世界的陸上競技選手。1976年モントリオールオリンピック棒高跳で金メダルを獲得したタデウス・スルシャルスキーと同乗した自動車で事故に遭い、ともに死亡した。没年58歳。

1998年
【事故死】タデウス・スルシャルスキー(Tadeusz Ślusarski)【陸上競技選手/ポーランド】

1976年モントリオールオリンピック棒高跳で金メダルを獲得したポーランドを代表する世界的陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピック砲丸投げで金メダルを獲得したウラディスラフ・コマルと同乗した自動車で事故に遭い、ともに死亡した。没年48歳。

2000年
【死去】E・H・エリック【タレント】

日本人の父とデンマーク人の母の間に生まれ、ハーフタレントの草分けとして活躍した人物。1966年のビートルズ日本公演で司会を担当した人物としても知られている。晩年は日本アムウェイ社の最高位販売員として活動していた。本名は岡田泰美(たいび)。実弟はタレント・俳優の岡田真澄、次女に元堺正章夫人の岡田美里がいる。ハワイ滞在中の2000年8月17日にパーキンソン病で死亡。没年71歳。

2004年
【死去】徳永善也【ミュージシャン】

1980年代にアイドル的人気を博したバンド「チェッカーズ」のドラム、"クロベエ"として活躍したミュージシャン。同バンドの解散後もミュージシャンとして活動したが、トラックの運転手を務めるなど、様々な職業を転々とした。元メンバーの武内らと結成したバンド「アブラーズ」として活動中の2003年頃に舌ガンが発覚。翌年8月17日に死亡した。没年40歳。