『満州国時代の甘粕正彦』

1945年8月20日は、日本陸軍の軍人であり、憲兵時代に関東大震災の混乱に乗じてアナキストの大杉栄・伊藤野枝らを折檻死させた「甘粕事件」の実行犯として知られる甘粕正彦が服毒自殺を図った日である。
甘粕事件を自らの単独犯として禁固10年の刑を受けた後に、満州に渡り、阿片ビジネスや満州事変でめざましい活躍を見せ、憲兵としては最高位ともいえる民政部警務司長に登り詰め、その後も中央本部総務部長、満洲映画協会理事長という要職に就任してゆく。生涯つきまとった「甘粕事件」という武闘派のイメージとは異なり、満映理事長時は、森重久弥、李香蘭ら、数々の映画監督、俳優から慕われる人格者としてのエピソードも多い人物であった。
そして8月15日のポツダム宣言受諾後、満州国に迫りくるソ連軍の到着する前に満映の社員たちに退職金を出し、後の大映画監督・内田吐夢の手の中で青酸カリを使用して服毒自殺をしたのだった。
その見事すぎる死に際、さらに新京で行なわれた葬儀に3,000人もの弔問客が集まったという人格を鑑みるに、赤子すら井戸に突き落としたといわれる「甘粕事件」が彼の単独犯であったとは信じ難い。そう思わせるに十分な、甘粕の死に際であった。

(写真はWikipedia 甘粕正彦より使用。Public Domain)

8月20日の不幸

1945年
【自殺】甘粕正彦【軍人・役人】

大正・昭和期の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に関東大震災の混乱に乗じてアナキストの大杉栄・伊藤野枝らを折檻死させた「甘粕事件」の実行犯として知られる人物。「甘粕事件」を自らの単独犯と認めて禁固10年の刑を受けた後に、満州に渡り、阿片ビジネスや「満州事変」でめざましい活躍を見せ、憲兵としては最高位ともいえる民政部警務司長に登り詰め、その後も中央本部総務部長、満洲映画協会理事長という要職を歴任。ポツダム宣言受諾後、満州国に迫りくるソ連軍の到着する前に満映の社員たちに退職金を出し、後の大映画監督・内田吐夢の手の中で青酸カリを使用して服毒自殺。54歳没。

1989年
【水難事故】「マーショネス号転覆沈没事故」

ロンドンのマーチャント銀行の行員、アントニオ・デ・バスコンセロスの26歳の誕生日パーティを開催していたクルーズ船のマーショネス号が、1989年8月20日午前1時45分にテムズ川のキャノン・ストリート鉄道橋付近で浚渫船ボウベルに衝突され転覆、沈没。マーショネス号の乗客132人中船長を含む51名が死亡する大惨事となった。

2007年
【航空事故】「チャイナエアライン120便炎上事故」

台北空港発那覇空港着のチャイナエアライン120便ボーイング737-800型機が、那覇空港着陸直後にエンジンから出火し炎上。機体は全て炎上したが、直ちに非難したために犠牲者は0人、乗員乗客165人中2名と地上の職員1名が負傷する被害に止まった。事故原因は脱落したボルトが燃料タンクを突き破ったことにあると発表された。

2008年
【航空事故】「スパンエアー5022便離陸失敗事故」

スペインの国内便、マドリード=バラハス空港発カナリア諸島ラス・パルマス県グラン・カナリア島のグラン・カナリア空港着のスパンエアー5022便マクドネル・ダグラスMD-82双発ジェット機が離陸直後数秒で滑走路脇に墜落。機体が真っ二つに裂け爆発を起こし、機体は炎上。乗員乗客172人中154人が死亡する大惨事となった。事故原因は異常設定のまま離陸を試みたため、そして操縦士の人為的ミスと発表された。

2012年
【戦死】山本美香【ジャーナリスト】

イラク、シリア等紛争地での取材で活躍したジャパンプレス所属のジャーナリスト。シリア内戦を取材中の2012年8月20日にシリア北部アレッポでシリア政府軍の銃撃を受け死亡。没年45歳。死後、設立された一般財団法人山本美香記念財団により「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」が創設された。