『ブライアン・エプスタインの死を伝える「デイリーミラー」紙』

1967年8月27日は、全世界を熱狂させたアイドル・グループ「ザ・ビートルズ」のマネージャーであったブライアン・エプスタインが死亡した日である。典型的なロックンロールバンドであったザ・ビートルズをスカウトし、衣装をスーツに決定し、ステージでの演奏後には必ず一礼するなど、初期ビートルズのイメージ戦略を担ったことで知られ、その絶大な効果は彼らの輝かしいキャリアが証明している。彼らがアメリカに渡り世界中の人気を獲得するのに、1年半もかからないという爆発的なヒットであった。そしてビートルズは、デビュー3年でライブ活動も停止せざるを得ないほど狂乱の日々を送ったのである。以降はスーツを脱ぎ捨て、アーティスト化していくビートルズの陰で、マネージャーとしてのエプスタインの存在感は次第に失われていったが、それぞれの道を模索するメンバーのまとめ役としてのエプスタインの重要性が明らかになったのは、皮肉にもその突然の死以降であった。アスピリンの過剰摂取という半ば自殺ともとれる彼の死から3年も経たないうちに、世界最大の人気グループは解散を迎えてしまったのである。ちなみに、寡黙な男として知られていたエプスタインであったが、その訃報は当日のうちにタブロイド紙の一面を飾るほどに大きなニュースバリューを持っていた。ビートルズの人気の為せる業といえばそれまでであるが、一マネージャーの死がここまで大々的に報じられたのは前代未聞である。それは生前のエプスタインの静かな人間性には似つかわしくない、スキャンダラスな最期であった。

(写真は英『デイリーミラー』紙/1967年8月27日夕刊)

8月27日の不幸

1576年
【死去】ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)【画家/イタリア】ルネサンス時代の最盛期に活躍したヴェネツィア派の中心的な画家。英語圏では「Titan」の名で知られる。代表作に『聖母被昇天』等。ペストで死去。没年推定88歳。死亡時に完成していなかった『ピエタ』は、弟子のパルマ・ジョヴァーネが完成させた。
1965年
【死去】【怪死】ル・コルビジェ(Le Corbusier)【建築家/スイス】近代建築の基礎を築いた世界的建築家。無駄のない美を湛えつつ、自由な創作溢れるコンクリート建築などで20世紀初頭の建築界に君臨し、その「ドミノシステム」と呼ばれる建築法で世界中に影響を与え続けた。代表的なものではサヴォア邸、ラ・トゥーレット修道院(ともにフランス)等が挙げられ、日本では東京・上野の「国立西洋美術館」を手がけている。海水浴中に心臓発作で死亡。医者の警告を振り切っての事故だっただけに意図的な死であったとも。没年77歳。
1967年
【死去】ブライアン・エプスタイン(Brian Samuel Epstein)【音楽プロダクションマネージャー/イギリス】

稼業の電気店の中でレコード部門を担当していた時に、ザ・ビートルズをスカウト。そのマネージャーとして世界的大ブームを巻き起こした彼らと行動を共にした。スーツ姿や、ステージでの演奏後のお決まりだった一礼など、ビートルズのイメージ戦略を担った。32歳でアスピリンの過剰摂取で死去。自殺説も流れた。その死はビートルズ解散の一因とも言われている。また、その死後、同性愛者であったことが判明し、エプスタインが惹かれていたジョン・レノンとのスペイン旅行等が明らかになったが、ジョンにより恋愛(肉体)関係は否定されている。

1990年
【航空事故死】【早世】スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)【ミュージシャン・歌手/アメリカ】

テキサス・ダラスに生まれ、ジョニー・ウィンターの目に止まりデビューした天才ブルースギタリスト。1989年の『In Step』でBest Contemporary Blues Recordingのグラミー賞を受賞した。1990年8月26日、アメリカウィスコンシン州イースト・トロイにあるアルパイン・ヴァレイ・ミュージック・シアターで開催されたブルース・フェスティバルでエリック・クラプトンと共演後、移動のヘリコプターが濃霧でスキー場のゲレンデに墜落。クラプトンのボディーガード3人やパイロットとともに即死した。没年35歳。

1996年
【離婚】「英王太子チャールズとダイアナ妃が離婚」第2子出産直後から冷え切った関係だった王室の夫婦が離婚。長年の別居と互いの不倫の果てだった。
1996年
【死去】小林昭二【俳優】ドラマ『仮面ライダー』のおやじさん役でおなじみの名脇役。『ウルトラマン』『西武警察Part3』等のテレビドラマから『犬神家の一族』『ゴジラVSキングギドラ』等の映画まで、幅広く活躍した。肺ガンにより65歳没。
2009年
【死去】ショータ・チョチョシビリ(Shota Samsonovich Chochishvili)【柔道家・格闘家/グルジア】旧ソ連の代表として1972年ミュンヘンオリンピック柔道93キロ級の金メダリスト。アマチュア引退後は新日本プロレスに"赤い軍団"として参戦、東京ドームで行なわれたアントニオ猪木との異種格闘技戦に勝利した。白血病で59歳没。
2010年
【死去】アントン・ヘーシンク(Antonius Johannes Geesink)【柔道家・プロレスラー/オランダ】東京オリンピックの柔道無差別級で金メダルを獲得し、その後の柔道の世界的人気を決定付けたオランダの柔道王。198センチという恵まれた体格で日本柔道への黒船として立ちはだかった全盛期は、過去最強の重量級覇者とも囁かれている。引退後は全日本プロレスに誘われてプロレスラー転向したが、肌に合わなかった。晩年は柔道指導者になり、国際オリンピック委員会委員としても活躍、柔道の国際化に貢献した。没年76歳。
2012年
【死去】横森良造【ミュージシャン】日本を代表するアコーディオン奏者賭してテレビ等で活躍。心不全で没年79歳。