『テロリストにより撮影された体育館内の人質たち』

1941年9月3日は、9月1日に発生した『ベスラン学校占拠事件』の3日目で、治安部隊の突入により、少年少女を中心とした386人以上もの人質が死亡した日である。
9月1日午前にロシアの北オセチア共和国ベスラン市ベスラン第一中等学校にチェチェン共和国独立派の武装集団が7歳〜18歳の少年少女とその親ら1,181人を人質に立てこもり。政治犯の釈放など様々な要求を突きつけた交渉の後、3日目に大規模な突入作戦が開始。爆発をきっかけに犯行グループ30人と治安部隊との間で壮絶な銃撃戦が行なわれ、治安部隊が制圧したものの、386人以上(うち186人が少年少女)、負傷者700人以上という1,000人以上の犠牲者を出す史上稀に見る惨劇となった。チェチェンの独立問題ではISに繋がるイスラム系テロ組織との密接な関わりが指摘されているが、この事件もその嫌疑はかけられている。この写真には100人以上もの子供たちの人質と、バスケットボールのゴールから伸びたワイヤーに設置された爆弾が写っており、犯人グループがロシア政府との交渉に使用したものであるといわれている実に生々しいものである。この爆弾の爆発をきっかけに起きたその突入作戦は賛否両論を巻き起こしたが、いずれにせよ、200人もの少年少女がその犠牲になったことは変わらぬ事実として語り継がねばならない。

(写真はWikipedia Beslan school siegeより使用)

9月3日の不幸

1年
準備中
1941年
【大量殺人】【ジェノサイド】『ホロコーストでのガス室処刑』

1941年9月3日は、第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストにおいて、ガス室での大量毒殺が初めて行なわれたといわれる日。チクロンBの使用により、32分で800名もの処刑が可能であったともいわれおり、その犠牲者は400万人とも150万人ともいわれている。

1989年
【交通事故死】【早世】ガエターノ・シレア(Gaetano Scirea)【サッカー選手/イタリア】

1990年代に活躍したフランコ・バレージと並び"イタリア史上最高"と呼ばれるリベロとして活躍した伝説的なフットボール選手。所属クラブのユベントス、そしてイタリア代表チームでチームメイトであった名ゴール・キーパー、ディノ・ゾフとともに鉄壁のディフェンスを築き、1982年スペインワールドカップでの優勝に中心選手として貢献した。長年活躍したディフェンスの選手としては奇跡的なことに、生涯一度も退場処分を受けたことがないフェアプレーで知られた模範的なプレイヤーであった。1988年に現役引退し、翌年、ゾフがユベントスの監督に就任するとその助監督に就任。同年9月にUEFAカップで対戦する予定であったグールニク・ザブジェの視察でポーランドを訪れた後、帰国途中のバプスク付近でガソリンを積んだトラックと正面衝突事故を起こし即死。没年36歳。死後に新設されたユベントスのホーム・スタジアム「デッレ・アルピ」にはその死を偲び「クルヴァ・シレア」なる座席が設けられた。