『撮影現場で演出中の黒澤明』

1998年9月6日は、日本が世界に誇る映画監督、黒澤明が死亡した日である。
『姿三四郎』でデビュー以降、数多くの名作を手がけ、1950年の『羅生門』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。以来、世界的な監督として活躍した、世界でも最も有名な日本人のひとり。その後の『生きる』『七人の侍』『用心棒』等で世界中のファンのみならず、あらゆる映画作家に影響を及ぼした。1980年にはジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラが外国版プロデューサーを務めた『影武者』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。
1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞、前述のルーカス、コッポラや北野武をはじめ、スピルバーグ、クリント・イーストウッドなど、今も多くの一流監督がその名前を挙げぬ日はないほどである。
すなわち、死してなお“世界のクロサワ”は映画界に君臨しているのだ。

9月6日の不幸

1年
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1998年
【死去】 黒澤明【映画監督】1950年の『羅生門』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。以来、世界的な監督として活躍した、世界でも最も有名な日本人のひとり。三船敏郎、志村喬を多くの作品で起用し、徹底した演出とダイナミックな画作りで知られ、その後の『生きる』『七人の侍』『用心棒』等で世界中のファンのみならず、あらゆる映画作家に影響を及ぼした。1980年には『影武者』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞。脳卒中で88歳没。
2011年
【急死】真田雅則【サッカー選手・コーチ】清水商高、順天堂大と日本一を経験し全日空に加入。Jリーグ立ち上げに際して地元の清水エスパルスに加入し、引退までほぼ正ゴールキーパーとして君臨した。12年間でリーグ戦243試合出場。引退後は清水とジェフ市原でコーチを歴任。再び清水に戻った2011年、自宅で死亡しているところを発見された。死因は急性心不全とされる。没年43歳。