『撮影現場で演出中の黒澤明』

1998年9月6日は、日本が世界に誇る映画監督、黒澤明が死亡した日である。
『姿三四郎』でデビュー以降、数多くの名作を手がけ、1950年の『羅生門』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。以来、世界的な監督として活躍した、世界でも最も有名な日本人のひとりであり、その後の『生きる』『七人の侍』『用心棒』等で世界中のファンのみならず、あらゆる映画作家に影響を及ぼした。1980年にはジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラが外国版プロデューサーを務めた『影武者』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞、前述のルーカス、コッポラや北野武をはじめ、スピルバーグ、クリント・イーストウッドなど、今も多くの一流監督がその名前を挙げぬ日はないほどである。
膨大な作品群が人々の目に触れ続ける限り、“世界のクロサワ”は死してなお映画界に君臨しているといえるだろう。

(画像は『vokrug』より使用)

9月6日の不幸

1901年
【暗殺】「マッキンリー大統領暗殺事件」

バッファローでのパン・アメリカン博覧会に出席していた第25代アメリカ大統領・ウィリアム・マッキンリーが、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュにより2度の銃撃を受ける。大統領は一時回復したものの、9月14日に容態が急変し死亡。逮捕されたチョルゴッシュは9月26日に死刑を宣告された同年10月29日に電気椅子で処刑されたが、逮捕後はその凶行を悔やんでいた。

1994年
【死去】ニッキー・ホプキンス(Nicholas Christian Hopkins)【ミュージシャン/イギリス】

スクリーミング・ロード・サッチの「サヴェージズ」でピアニストとしてキャリアをスタートし、ザ・フー、キンクス、ドノヴァン、ローリング・ストーンズ、ジョン・レノン、ザ・ビートルズ、ジェフ・ベック、ジェファーソン・エアプレインなど錚々たるロックミュージシャンのレコーディングに参加した伝説的なスタジオ・ミュージシャン。生来クローン病に苛まれていたためにコンサートツアーに参加することは稀であった。『逃亡者』『パ★テ★オ』『並木家の人々』という日本のテレビドラマで音楽を手がけたことでも知られている。クローン病の治療のための手術を受けた直後の合併症で50歳没。

1997年
【葬儀】「ダイアナ妃葬儀」

1997年8月31日に交通事故死した英王室ウェールズ公チャールズの元夫人、ダイアナ妃の国民葬がウェストミンスター寺院で行なわれた。女王エリザベス2世は一般人として扱うことを望んだというが、チャールズ皇太子、トニー・ブレア首相の強い希望でイギリス王室による準国葬「王室国民葬」ということになった。その葬儀のテレビ中継の視聴者数は、歴代最高の視聴率となっている。

1998年
【死去】 黒澤明【映画監督】1950年の『羅生門』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞。以来、世界的な監督として活躍した、世界でも最も有名な日本人のひとり。三船敏郎、志村喬を多くの作品で起用し、徹底した演出とダイナミックな画作りで知られ、その後の『生きる』『七人の侍』『用心棒』等で世界中のファンのみならず、あらゆる映画作家に影響を及ぼした。1980年には『影武者』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞し、1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞。脳卒中で88歳没。
2007年
【死去】ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)

【声楽家/イタリア】プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスらと共に『三大テノール』として知られたイタリアを代表するテノール歌手。2006年冬のトリノオリンピック開会式で『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を歌ったのが生涯最後のパフォーマンスであったが、後にそれが1週間前に録音したものを口パクで合わせたものと判明し話題になった。翌年9月6日に肝臓ガンで71歳没。9月8日にモデナ大聖堂で行なわれた葬儀にはプローディイタリア首相、アナン前国連事務総長の他、ロック歌手のボノ(U2)やテノール歌手のアンドレア・ボチェッリなどの著名人とともに約10万人もの市民が駆けつけた。

2011年
【急死】真田雅則【サッカー選手・コーチ】清水商高、順天堂大と日本一を経験し全日空に加入。Jリーグ立ち上げに際して地元の清水エスパルスに加入し、引退までほぼ正ゴールキーパーとして君臨した。12年間でリーグ戦243試合出場。引退後は清水とジェフ市原でコーチを歴任。再び清水に戻った2011年、自宅で死亡しているところを発見された。死因は急性心不全とされる。没年43歳。
2014年
【死去】山口洋子【作詞家・小説家・実業家】

女優から銀座のクラブ「姫」の経営に転身。同店を各界著名人を顧客に持つ店として成功させた後に、作詞家としての活動を開始。1960年代〜1970年代にかけて『よこはま・たそがれ』『ふるさと』『夜空』『うそ』など多くの大ヒット曲を手がけた。後に『よこはま・たそがれ』はアディー・アンドレ作『ひとり海辺で』の盗作であると報道されたが本人は否定。1980年代からは小説家としても活動を始め、1985年(昭和60年)に『演歌の虫』『老梅』で直木三十五賞を受賞。2014年9月6日に呼吸不全で77歳没。