『ジーン・セバーグの妊娠に関するFBIのメモと、映画『勝手にしやがれ』でのジーン・セバーグ』

1979年9月8日は、アメリカの女優、ジーン・セバーグがアルコールとドラッグの過剰摂取で自殺した日である。
1959年の映画、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』での主演で、フランス映画の“ヌーヴェルヴァーグ”を代表する女優になった。しかし、反戦運動や公民権運動などのプライベートでの政治的活動でFBIにマークされ、1970年、当時の夫で映画監督のロマン・ガリー(ロシア系フランス人)との間に妊娠した赤子が、彼女がサポートする黒人解放組織“ブラックパンサー”の幹部との子であると喧伝され、ストレスのあまり流産に至った。その際には流産した胎児が黒人ではないという旨の写真を提示した記者会見を行なったほど精神的に追い詰められていた様子であった。その後、彼女は深刻な鬱病患者となり、1979年9月8日に遺体となって自家用車のバックシートから発見された。死因は大量のバルビツールとアルコールの摂取。傍らにあった遺書には「Forgive me. I can no longer live with my nerves.(ごめんなさい、私はもうこの精神状態では生きられません)」と記されていた。彼女の死に際し、離婚して前夫となっていたガリーはFBIによる印象捜査を強く非難し、ジーンがかつて流産した子供の命日である8月25日に何度も自殺しようとしていたことを語った。そして自らもまた、ジーンの死の翌年、拳銃自殺という最期を選んでいる(1980年12月2日)。

(画像はWikipedia Jean Sebergより使用)

9月8日の不幸

1613年
【死去】カルロ・ジェズアルド(Carlo Gesualdo)【作曲家/イタリア】

代表曲『Beltà, poi che t'assenti(美しい人よ、貴女がいないと)』等、大胆な半音階技法を取り入れた実験的な作曲法で知られる後期ルネサンスの作曲家であり、妻マリアとその不倫相手アンドリア公ファブリツィオ・カラーファをセックスの最中に惨殺した人物。そばにいた自らの赤子すらも殺したと言われてるが、貴族の身分であったためにその罪は不問となった。晩年は殺人の記憶に苛まれ、自らを鞭打つための使用人を雇っていたとも言われている。マリアとの長男エマニュエレの死んだ3週間後に死亡。没年47歳。

1965年
【薬物中毒死】ドロシー・ダンドリッジ(Dorothy Dandridge)【女優/アメリカ合衆国】

1930年代から女優として活動を始め、1954年の映画『カルメン』で黒人女性として史上初のアカデミー主演女優賞にノミネートされた人物。抗鬱剤の過剰摂取により自宅アパートで死亡。没年42歳。

1978年
【死去】リカルド・サモラ(Ricardo Zamora Martínez)【サッカー選手/スペイン】

スペインが生んだ史上最高のゴールキーパーと言われた世界的な名手。現在のスペインリーグの最優秀ゴールキーパーに与えられるサモラ賞の語源になった人物。バルセロナ出身でスペイン代表としても活躍し、クラブチームでは長らく地元のバルセロナ、エスパニョールで活躍をしたが、1930年にバルセロナの政敵であるマドリードのクラブ、レアルマドリードに移籍をしたことで社会的な問題となった。その後スペイン内戦の悪化によりフランスのクラブOGCニースに移籍し、その年のシーズン後に38歳で引退した。引退後はアトレティコ・マドリード、エスパニョール、スペイン代表でも監督を務めたが指導者としては大成しなかった。77歳没。

1979年
【自殺】ジーン・セバーグ(Jean Seberg)【女優/アメリカ】ジャン・リュック・ゴダール監督の映画『勝手にしやがれ』での主演で"ヌーヴェルヴァーグ"を代表する女優に。反戦運動や公民権運動などのプライベートでの政治的活動でFBIにマークされ、妊娠した赤子を彼女がサポートする黒人解放組織"ブラックパンサー"の幹部との子であると喧伝され、ストレスのあまり流産に至った。晩年は深刻な鬱病に悩み40歳で自殺。死因は大量のバルビツールとアルコールの摂取だった。
1981年
【死去】湯川秀樹【物理学者・教育者】

中間子の存在を1935年に予言し1949年に日本人として史上初のノーベル賞(物理学賞)を受賞した世界的物理学者。物理学の第一人者として戦時中は日本の原子力爆弾開発に関与したが、その後はラッセル=アインシュタイン宣言に共同宣言者として加わるなど、生涯反核運動に努めたことでも知られている。1975年に前立腺ガンの手術を受け、その後は療養しながら研究活動を続け、1981年6月に第4回科学者京都会議の発起人として登場した際は車椅子であった。その直後の9月8日に急性肺炎から併発した心不全で74歳没。

1994年
【死去】東野英治郎【俳優】

昭和期を代表する人気テレビドラマ『水戸黄門』の初代黄門役で知られる俳優。名脇役として数々の人気作品に出演し、主な出演映画に『東京物語』『用心棒』『秋刀魚の味』『白い巨塔』等が挙げられる。第1部から第13部まで足掛け14年、全381回にわたって演じ、彼の代表作となった。じゃがいも黄門の名で親しまれ、お茶の間で絶大な人気を博した。1983年4月11日の放送回で全381回にわたり出演した黄門役の降板を健康上の理由で降板。1994年9月8日6時に心不全で86歳没。実子に俳優の東野英心がいる。

2003年
【死去】レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)【映画監督・写真家・女優/ドイツ】

ダンサー、女優として人気を博し、映画監督に転身。1932年の初監督映画『青の光』でヴェネツィア国際映画祭の銀賞を受賞し国際的な名声を獲得し、その後ヒトラーの指名を受けナチスドイツ政権下で『信念の勝利』『意志の勝利』『オリンピア』等のプロパガンダ映画を制作したことで知られている人物。戦後は"ナチスの協力者"としての悪名に苦しんだが、1973年にスーダンのヌバ族を10年間取材した写真集『ヌバ』を発表し写真家として再起を果たした。その後も71歳でスキューバダイビングの免許を取得し"史上最高齢のダイバー"として水中写真を発表するなど晩年に至るまで精力的な活動を続けたが、最期までナチスの影はそのキャリアを多い続けた。2000年、98歳の時ににスーダンで乗っていたヘリコプターが銃撃により墜落したが一命を取り留め、2002年に映画『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』で監督復帰。この時は100歳でダイビングに挑戦している。翌年に長らく助手を務めていたホルスト・ケトナーと101歳で結婚し、同年ガンで死亡した。没年101歳。

2004年
【死去】水上勉【小説家】

貧困な身の上から10代で禅寺に修行に出されるなど、様々な職を転々としながら作家活動を開始。虹書房を立ち上げ文学誌『新文藝』を創刊した後に、1961年に発表した『雁の寺』で第45回直木賞を受賞した小説家。その後も『飢餓海峡』『金閣炎上』等多くのヒット作を発表し続け戦後を代表する小説家として活躍した。肺炎で85歳没。

2008年
【怪死】【早世】エヴァン・タナー(Evan Tanner)【格闘家/アメリカ合衆国】

高校時代にレスリング王者となり、1997年にアメリカの総合格闘技団体USWFでデビュー。同年USWF王座を獲得し7度の防衛に成功。1998年からはパンクラスへ参戦し来日、2001年からはUFCに参戦し、2005年2月5日の「UFC 51」でUFC世界ミドル級王座決定戦でデビッド・テレルをTKOで下しUFCミドル級王座を獲得(次戦でリッチ・フランクリンに敗北し王座陥落)。その後もUFCで活躍を続けたが、生来のアルコール依存症に苦しみ、たびたび戦線離脱を果たした。2008年9月8日に米サンディエゴのパロ・ヴェルデ山中で死亡。没年37歳。9月3日に「身を清めるため」と言い残し1人でキャンプに向かった先の悲劇であり、9月5日の友人への連絡を最期に音信不通となっていた。その死は自殺であるとメディアで報じられたが、マネージャーは否定。アルコールを断つための儀式であったと語っている。