『死亡1年後より「毛主席紀念堂」にて永久公開される毛沢東の遺体』

1976年9月9日は、中国共産党の初代指導者にして中華人民共和国の初代国家主席、毛沢東が死亡した日である。
ソ連をモデルに、徐々に社会主義化を進め、最終的には中国で完全な独裁体制を完成させた人物。しかし、その強引な社会主義政策のために多くの国民が犠牲になり、一時は5,000万人もの餓死者を出したとも言われ、それを覆い隠すために、「文化大革命」と呼ばれる毛沢東による思想・政治が入り乱れたいわば“毛沢東キャンペーン”が長期にわたり大規模に展開された。これらの国家的混乱期を通じて毛沢東が死に追いやった人々は、政敵や餓死者を含めて人類史上空前のものであったとされ、ナチスドイツのヒトラー、ソ連のスターリンらと並び、“世界三大殺戮者”とも称されている。その一方、その強引過ぎた治世にもかかわらず中国国民にとっては傷跡どころか、“建国の英雄”として奉られるに至っており、毛が思想的に多大な影響を受けたソ連の初代最高指導者・レーニンを倣い、「毛主席記念堂」に遺体が永久保存されており、生前の姿を広く公開され続けて今日にいたっている。現在は様々な部分で資本主義が部分的に取り入れられてはいるが、中国は現在も中国共産党の一党体制が続き、その意味で国体は毛沢東の思想の延長線上にあると言っていいだろう。その基盤を築くために山積みとなった多くの遺体たちの上で、毛沢東の遺体はいまだ生き続けているのである。

(写真は中国サイト『視察者』より使用)

9月9日の不幸

1901年
【死去】【早世】アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa)【画家/フランス】

フランスの名家に生まれたものの、10代の頃に左右の大腿骨を骨折したためか、生涯にわたり両脚が子供の長さから成長しないという奇形的な身体的特徴を持った人物であり、被差別的な境遇にありながらも独特な画風で世界的名を獲得した19世紀フランスの画家。劇場「ムーラン・ルージュ」のように、ダンサー、娼婦など"夜の女たち"とその世界に入り浸り、彼女らをモチーフにした絵画、ポスターを数多く残した。代表作にポスター『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』『ディヴァン・ジャポネ』絵画『ムーラン・ルージュに入るラ・グリュ』等。私生活ではアブサンを始めとしたアルコールの多量摂取と梅毒に冒されたことで荒廃した生活を送り、わずか36歳で脳出血により死亡した。

1949年
【航空事故】【保険金殺人】「カナディアン航空機爆破事件」

モントリオールからベーコモーに向かうカナダ太平洋航空のDC-3が、経由地のケベックを離陸直後に爆発し墜落。乗員乗客23名全員が死亡した。その後の調査により事故原因はケベック在住の宝石商、アルベール・ガイの仕掛けた時限爆弾によるものと判明。同機に登場していた妻を殺害し、彼女にかけた生命保険1万カナダドルの取得を目論んだが、共犯のマルグリート姉弟とともに死刑となった。

1971年
【暴動】「アッティカ刑務所暴動」

アメリカ合衆国ニューヨーク州アッティカの「アッティカ刑務所」で囚人たちによる暴動が発生。看守は全員で半数以上の囚人がアフリカ系アメリカ人という環境で発生したこの事件は、劣悪な生活環境へ蓄積した不満が、同年8月21日に、カリフォルニアの「サン・クェンティン刑務所」で黒人人権運動家、ジョージ・ジャクソンが脱獄中に射殺された事件を契機に爆発したものといわれている。1971年9月9日にアッティカ刑務所に服役していた約2200人中1000人もの囚人が暴動に参加し、刑務所を制圧。所員33名を人質に取り、4日間の交渉を行なった。しかし結果的に交渉は成立せず、9月13日に、州知事ネルソン・ロックフェラーが武力制圧を指示。29人の囚人と10人の所員が死亡する大惨劇となった。この暴動はジョン・レノンが1972年に『Attica State』なる歌を発表するなど、社会的影響力を持った事件となった。

1976年
【死去】毛沢東【政治家・軍人・思想家】中国共産党の初代指導者にして中華人民共和国の初代国家主席。政権を握るとソ連をモデルに、徐々に社会主義化を進め、最終的には完全な独裁体制を完成させた。しかし、その強引な社会主義政策のために多くの国民が犠牲になり、一時は5,000万人もの餓死者を出したとも言われ、それを覆い隠すために、「文化大革命」と呼ばれる毛沢東による思想・政治が入り乱れたいわば"毛沢東キャンペーン"が長期にわたり大規模に展開された。晩年はが筋萎縮性側索硬化症を患い、82歳で死亡。
1996年
【未解決事件】【放火殺人事件】「柴又女子大生放火殺人事件」

1996年9月9日午後4時半頃に東京都葛飾区柴又3丁目の民家で火災が発生し、焼け跡から上智大学4年生、小林順子の遺体が発見された。手足を縛られ、首に刺し傷があったことから殺人事件として捜査を進めたが、現在に至るまで犯人逮捕には至らず。足の縛り方が「からげ結び」という特殊な結び方であったことや現場に残っていたマッチ箱から家族以外のDNAが検出され、さらには布団に残った血痕から同じDNAが発見されたが、犯人の特定には至っていない。なお被害者は2日後に海外留学を控えていた。

2001年
【暗殺】アフマド・シャー・マスード(Ahmed Shah Massoud)【軍人・活動家/アフガニスタン】

ソ連により衛生国家化されたアフガニスタンで反ソ連勢力のゲリラとして軍事的指導者にあった人物。1992年に首都カーブルを占領したラッバーニーによりアフガニスタン・イスラム国が誕生すると、その国防相、政府軍司令官等の要職を兼任し、国家的英雄として同国を率いた。2001年9月9日、アラブ系の二人組の自爆テロによって死亡。没年48歳。アメリカ同時多発テロの2日前だっただけに関連性が疑われたが真相は不明。

2001年
【死去】相米慎二【映画監督】

薬師丸ひろ子を主演にした映画『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』、第1回東京国際映画祭でグランプリを獲得した『台風クラブ』等の作品で知られる映画監督。一般作監督としてヒットを飛ばした以降ににっかつロマンポルノ作品『ラブホテル』の監督を手がけるなど、多ジャンルにわたり活躍した。2001年6月に肺ガンと診断され、同年9月に53歳没。生涯独身であった。

2004年
【未解決事件】【放火殺人】「愛知豊明母子4人殺人放火事件」

2004年9月9日午前4時過ぎに愛知県豊明市在住の加藤博人宅で出火。加藤が急ぎ帰宅すると妻・利代、長男・佑基、長女・里奈、次男・正悟の4人が遺体となって発見された。遺体に刺し傷や打撃痕が見つかったために放火殺人として捜査を続けたが、現在に至るまで犯人は特定されていない。また、2005年3月11日に加藤が勤務先の詐欺事件で逮捕されているが、2004年の事件とは関連性はないとみられている。

2007年
【航空事故】「スカンジナビア航空1209便胴体着陸事故」

コペンハーゲン国際空港からオールボー空港に向かうデンマークの国内線、スカンジナビア航空1209便ボンバルディアDHC8-Q400が、着陸時に右主脚が出なかったために燃料を減らした上で緊急胴体着陸を敢行。乗員乗客73人中5人の負傷者を出す結果となった。事件直後の10月27日にもノルウェーで同型機による同様の事故が発生したためスカンジナビア航空は翌28日でDHC8-Q400型機を永久運航停止とした。

2009年
【ハイジャック】【航空事故】「アエロメヒコ航空576便ハイジャック事件」

カンクン発メキシコシティ行きのアエロメヒコ航空576便ボーイング737-852型機が、フェリペ・カルデロンメキシコ大統領との対話を望むグループによりハイジャックされた事件。乗員乗客112人が人質となったが、メキシコシティ到着後に全員が解放された。機内に残っていた5人が容疑者として逮捕されたが、ボリビア人のホセ・マルク・フローレス・ペレイラを除き、犯人とは断定できなかった。ペレイラは過去に服役したことがあり、ドラッグやアルコールの依存症であった人物で、神のお告げによるハイジャックであったと供述。2009年9月9日という「666」の裏返しの日を選んでの犯行だったと言われている。