『1992年時撮影の2Pacの宣材写真』

1996年9月13日は、“2Pac”ことトゥパック・アマル・シャクールが同年9月6日の射殺事件の結果死亡した日である。
1990年代に隆盛したヒップホップの牽引したラッパーの代表格であるトゥパックは、両親共にブラックパンサー党員だったというその激しいメッセージ性を受け継いだのか、人種差別等あらゆる障害に対し過激な怒りを表現するスタイルで多くの若者たちの共感を得たアーティストだった。しかし、同時代に現われたもうひとりのカリスマ的ラッパー“ノトーリアス・B.I.G.”ことビギー・スモールズとの激しい二極抗争が、最初はその音楽を通じて行なわれていたものが、実際の殺人事件に発展してしまうという、現在のヒップホップにも脈々と受け継がれている“暗い殺人の連鎖”を大々的に知らしめる事件となった。5発もの被弾をしたという過去の銃撃事件以来、トゥパックはビギーをその黒幕と信じていたために、1996年9月7日に起きた凶行、ボクシングの試合、マイク・タイソンーブルース・セルドン戦の観戦後の帰路で横付けされたキャデラックから4発の発砲を浴びてトゥパックが死亡した際も、まずビギーが疑われることになった(レコーディング中であったと容疑を否定)。数多くのアーティストをマネジメントするジミー・ヘンチマンが2011年にトゥパックの射撃犯であると名乗り出たが、現在も真相は明らかになっていない未解決事件である。いま確かなことは、ビギー・スモールズもこの殺人事件の半年後、1997年3月9日に何者かによって撃ち殺されているということだけだ(こちらも未解決)。そしてのその死の連鎖は、アメリカを始め至るところで現在も繋がり続けている。元々ヒップホップは、他者をののしり合うという極めて戦闘的な要素を多分に孕んだ音楽、表現ではある。トゥパックに影響された白人ラッパーのエミネムが殺人への反対を訴えるなどしているが、果たして、ヒップホップがこういった直接的な悲劇から解放される日はやってくるのだろうか?

(写真はWikipedia Tupac Shakurより使用)

9月13日の不幸

1946年
【処刑】アーモン・ゲート( Amon Leopold Göth )【軍人・強制収容所所長/ナチス・ドイツ】

第二次世界大戦中、ポーランドのクラクフ・プワシュフ強制収容所の強制収容所所長を務め、大量のユダヤ人虐殺に実行犯としてかかわった人物。犬による拷問、自ら銃殺していたなど、そのサディスティックな嗜好で有名であり、"ルブリンの血に飢えた犬""プワショフの屠殺人"などというおぞましいニックネームで恐れられ、スティーブン・スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』でも悪役としてクローズアップされた。戦時中に資金横領と虐待容疑で失脚し、戦後ポーランドに護送され絞首刑に処された。その長身のために2度失敗し、3度目に絶命したという(その処刑動画も広く公開されている※閲覧注意)。没年37歳。

1971年
【航空事故】【怪事件】林彪【政治家/中国】

中華人民共和国元帥、中国共産党中央委員会副主席。毛沢東の後継者として指名され、中国共産党のナンバー2にまで登り詰めたが、その野心を毛沢東に疑われ、息子の林立果らとともに軍部を掌握し毛沢東暗殺を企てた(「林彪事件」別名「9・13事件」)。そして9月8日に実行するも、事前に露見し失敗。ソ連への逃走途中の13日深夜に、モンゴル人民共和国のヘンテイ県ベルフ市近郊で不時着陸に失敗し、搭乗していた9人全員が死亡(妻の葉群、林立果を含む)。没年63歳。毛沢東はその撃墜を否定したが、ソ連側も否定したために事故死扱いとなっているが、真相は不明である。

1975年
【死去】棟方志功【版画家】代表作『大和し美し』で知られる20世紀の日本を代表する版画家。1956年にはベネチアビエンナーレの国際犯が賞を受賞し、国際的にも知られる芸術家となった。肝臓ガンで72歳没。
1984年
【自殺】ちばあきお【漫画家】

人気少年野球マンガ『キャプテン』『プレイボール』の作者として知られる漫画家。実兄に『あしたのジョー』等で知られる漫画家のちばてつやがいる。晩年は躁鬱病を患い1984年9月13日に仕事場で首吊り自殺。没年41歳。

1988年
【早世】【急死】 堀江しのぶ【タレント】1983年開催の「クラリオンガールコンテスト」で「平凡パンチ・アイドル賞」を受賞し、イエローキャブの前身である黒澤プロモーションからデビューしたグラビアアイドル、歌手。スキルス性胃癌を患い急死。没年23歳。
1996年
【暗殺】【早世】2パック(Tupac Amaru Shakur)【ミュージシャン/アメリカ】

1990年代を代表するヒップホップMC。両親共にブラックパンサー党員だったというその激しいメッセージ性を受け継いだのか、人種差別等あらゆる障害に対し過激な怒りを表現するスタイルで多くの若者たちの共感を得た。また過激なのはその私生活においても同様で、レイプ容疑や発砲事件などで逮捕、収監されていた時期もあった。1996年9月7日にボクシングのマイク・タイソンーブルース・セルドン戦を観戦後に射殺された。半年後に自身も射殺されることになるカリスマ的ラッパー"ノトーリアス・B.I.G."がその黒幕であったともいわれ、ジミー・ヘンチマンが2011年にトゥパックの射撃犯であると名乗り出たが、現在も真相は明らかになっていない。没年25歳。