『杉山隆一に指導をする日本代表監督時代のデットマール・クラマー』

2015年9月17日は、1964年の東京オリンピックで日本代表チームを率いた“日本サッカーの父”である西ドイツのサッカー指導者、デットマール・クラマーが死亡した日である。
その指導は選手の実技だけに止まらず、リーグ戦や環境の整備など、サッカー界全体を近代化させ、クラマーの教えを引き継いだ1968年メキシコオリンピック日本代表チームは、史上初の銅メダルを獲得した。そのニュースは「バイエルン・ミュンヘン監督時代のチャンピオンズ・カップ獲得よりも嬉しかった」と語るほどの情熱的な関係が、クラマーと日本代表チームの間には存在していた。それらのストーリーを鑑みれば、2005年に創設された「日本サッカーの殿堂」の第1回受賞者がクラマーだったのは、当然であったといえるだろう。

(画像はWikipedia Dettmar Cramer より使用。Public Domain)

9月17日の不幸

1945年
【集団自殺】「瑞穂村開拓団集団自決」

日本の第二次世界大戦敗戦決定の約一カ月後にあたる1945年9月17日に当時の満州国北安省瑞穂村において、瑞穂村開拓団が青酸カリにより集団自決。一般女性、子供を含む約495人が一度に自殺を遂げたといわれている。

1980年
【暗殺】アナスタシオ・ソモサ・デバイレ(Anastasio Somoza Debayle)【軍人・政治家/ニカラグア】

ニカラグア国家警備隊に入所し、司令官としてソモサ一族の独裁体制に貢献したアナスタシオ・ソモサ・ガルシアの次男。1967年4月13日に兄のルイスが急死した後を受け、第43代ニカラグア共和国大統領に就任。"中米のアミン"と呼ばれる独裁者として君臨したが、その国民弾圧により国際社会から独立し、1979年にサンディニスタ民族解放戦線によるニカラグア革命でアメリカに亡命。その後バハマ、グアテマラを転々とし、最終的にはパラグアイに亡命。アスンシオン滞在中の1980年9月17日にベンツを運転していたところ、サンディニスタ民族解放戦線と関係の深いアルゼンチンの「人民革命軍(ERP)」により暗殺された。没年54歳。

2015年
【死去】デットマール・クラマー(Dettmar Cramer)【サッカー選手・指導者/ドイツ】

"日本サッカーの父"と呼ばれ、実技指導だけに止まらず、リーグ戦や環境の整備など、草創期の日本サッカー界全体を近代化させ、多大な貢献を果たした西ドイツのサッカー指導者。現役時代はウィクトリア・ドルトムント等で活躍したフットボール選手であり、引退後の1960年に、1964年東京オリンピックに臨む日本代表チームの代行監督として来日。1964年の東京オリンピックで日本代表チームをベスト8に導き、クラマーの教えを引き継いだ1968年メキシコオリンピック日本代表チームは、史上初の銅メダルを獲得した。その後本国に戻りバイエルン・ミュンヘン、バイエル・レバークーゼン等の一流クラブチームやタイ、マレーシアなどの各国代表チームの監督を歴任。バイエルン・ミュンヘン監督時代1975-1976シーズンにはUEFAチャンピオンズ・カップを獲得するなど、世界的な指導者としてその名を馳せた。2005年に創設された「日本サッカーの殿堂」の第1回受賞者。2015年9月17日にバイエルン州ライト・イム・ヴィンクルで死亡。没年90歳。死の直後である9月19日、20日に開催されたJリーグ全公式戦において、試合前、クラマーに対する黙祷が行なわれた。

2016年
【最終回】「漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』連載終了」

この日発売の週刊『週刊少年ジャンプ』42号で、1976年9月21日発売の同誌42号から40年続いた秋本治の連載漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が終了。全1960話、全200巻にわたる記録的な長期連載であった。