『映画『ライムライト』でのチャップリンとクレア・ブルーム』

1952年9月19日は、20世紀の映画黎明期を牽引した不世出の“喜劇王”ことチャールズ・チャップリンが、ハリウッド、そしてアメリカ合衆国から事実上の追放を宣告された日である。
この日、同年に完成した自身の監督・主演映画『ライムライト』のプレミア上映のために自らの母国、イギリスのロンドンへと船で向かっていたチャップリンに対し、時のアメリカのトルーマン政権時の司法長官ジェームズ・P・マグラネリは、同国への再入国を禁止。1947年の映画『殺人狂時代』以降、その作品が共容的であると見られた“危険人物”への仕打ちとして、ハリウッドを支えていた男はその映画の聖地に戻る権利を剥奪されたのだった。そしてこの悲しい追放劇は、政府関係筋の怒りを買っていただけではなく、市民、そして上映館側からの反感も大いに関与していたようだ。その20年後、1972年にアカデミー賞名誉賞受賞のためにアメリカの地を踏むことになるが、その失われた20年の間にチャップリンが為しえたことを想像するだに、悲劇的な追放であったといえるだろう。その悲劇は、1972年に行なわれたアカデミー賞で『ライムライト』が作曲賞を受賞したことで、より痛切に後世に語り継がれることとなったのである。

(写真はWikipedia Charlie Chaplinより使用。Public Domain)

9月19日の不幸

1902年
【早世】正岡子規【俳人】明治期を代表する文学者にして、近代日本を代表する俳人、歌人。帝国大学中退後、新聞『日本』の記者になり、日清戦争後の1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊(俳号の子規とはホトトギスの漢字である)。代表作に『歌よみに与ふる書』等。晩年は結核との7年間の闘病の末に死亡。没年34歳。
1961年
【UFO】【怪事件】「ヒル夫妻誘拐事件」自宅への帰路の運転中、ニューハンプシャー・ポーツマス在住のヒル夫妻がUFOに誘拐されたと主張。全世界を騒がせたが、催眠療法など、あらゆる手立てで行なった2人の証言には食い違う部分も多々あり、彼らの"誘拐"は、多くの場合において、彼らの精神障害、心理的異常に帰するものとして扱われた。
1973年
【薬物過剰摂取】【早世】グラム・パーソンズ(Gram Parsons)【ミュージシャン/アメリカ】カントリーロックというロックの1ジャンルを形作ったミュージシャンであり、ギタリスト。バーズに加入し『ロデオの恋人』に携わったが、その発売前に脱退。晩年は薬物中毒に陥り、ソロ活動第2弾『グリーヴァス・エンジェル』の発売直前にカリフォルニア州のモーテルで薬物過剰摂取により死亡。没年26歳。
1977年
【死去】今東光【僧侶、小説家、政治家】『文芸時代』等に作品を発表した後に金龍山浅草寺伝法院で出家。その後文壇復帰し『悪名』等の作品を発表した。1968年にはに自由民主党から出馬し参議院議員に。1977年に急性肺炎で死亡した。没年79歳。
1985年
【大地震】「メキシコ地震」最大マグニチュード8.0を記録し、5月28日にM5.2の前震、そして20日にマグニチュード7.5と7の2回の後震を含む全4回の地震で構成され、およそ1万人の死者を出した大地震。震源地から離れていたにもかかわらず、メキシコ・シティで大規模な"パンケーキ倒壊"が起きた。
2005年
【死去】後藤田正晴【政治家】

内務省警察庁の官僚、警察庁長官を経て政治家に転身、宮沢改造内閣時の副総理、3度の内閣官房長官、法務大臣などの要職を歴任した。肺炎で91歳没。

2005年
【死去】中内功【経営者】薬局経営から発展させた価格破壊のスーパーマーケット「ダイエー」の創業者。グループ企業としてローソン、フォルクスなどの経営、さらには1988年に南海ホークスを買収し、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)を設立、そして福岡ドームを建設。1988年には神戸に流通科学大学を設立するなど、ありとあらゆるジャンルで活躍した。2001年に社長退任、2004年にはダイエーグループと決別。その翌年に脳梗塞で死亡した。没年83歳。
2013年
【死去】山内溥【経営者】ファミリーコンピューターなどのゲーム商品で、トランプが主力商品であった任天堂を世界的ゲームメーカーにまで押し上げた同社3代目の社長。創業者である山内房治郎の曾孫に当たる。MLBのシアトルマリナーズの経営危機に際し「在米支社を置いてくれたシアトルへの恩返し」として堂球団を自腹で買収。非白人初のMLB球団オーナーとなった。肺炎で85歳没。死亡した京都大学付属病院には、2006年に資産の70億円を寄付していた。
2015年
【早世】黒木奈々【アナウンサー】『TBSニュースバード』等で活躍したフリーのアナウンサー。2014年に急性胃潰瘍で緊急入院、胃ガンと診断された。同年9月19日に摘出手術を受けるも、翌年死亡した。没年32歳。