『1982年に撮影されたサイモン・ウィーゼンタール』

2005年9月20日は、ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家、サイモン・ウィーゼンタールが死亡した日である。
妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、自らもマウトハウゼン強制収容所に拘束されながらもすんでのところで米軍に解放され一命をとりとめたというウィーゼンタール。第二次大戦が終わると、ユダヤ人迫害記録センター、モサド(イスラエル諜報特務庁)等と連携し、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを“ナチ・ハンター”として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力した。ウィーゼンタールはその生涯で、ナチスドイツ関係の1100人もの戦犯を確保したといわれ、2003年に「もはやその仕事を全うした」として引退したが、その功績に対して、イギリス政府はナイトの称号を贈った。93歳までの年月を虐殺された同胞たちの無念を晴らすことだけに費やし、引退後3年で死んだ彼の人生において、気の休まる瞬間などほとんど存在しなかったであろうことは想像に難くない。ウィーゼンタールの人生は、まさに人類史上最大級の“不幸との戦い”であったといえるだろう。

(画像はWikipedia Simon Wiesenthalより使用)

9月20日の不幸

1980年
【死去】林家三平【落語家】落語家7代目林家正蔵の長男として生まれ、父の前座名である三平の名のまま、初代林家三平の名を生涯貫いた伝説的な人気を誇った噺家。テレビ等の各種メディアでも活躍し、"昭和の爆笑王"の名をほしいままにした名人であった。長女海老名美どり、その夫峰竜太、次女泰葉、長男9代目林家正蔵、次男2代目林家三平等、芸能界屈指の芸能一家を築いたことでも知られる。絶頂期の1979年に脳溢血で倒れ、言語障害を患うもリハビリの末に復帰。しかし、その翌年、肝臓ガンで死亡した。54歳没。
1986年
【事故死】【怪死】日高富明【ミュージシャン】シンガーソングライターであり、『学生街の喫茶店』等のヒット曲で知られるフォークロックグループ「ガロ」の元メンバー。茅場町のマンションから転落死し、自殺と報道されたが、後に事故死ともいわれ、現在も真相は不明。没年36歳。
1993年
【死去】エーリヒ・ハルトマン(Erich Alfred "Bubi" Hartmann)【空軍軍人/ドイツ】第二次大戦時の独ソ戦においてめざましい活躍を見せ"黒い悪魔"と恐れられたナチスドイツのエースパイロット。ヒットエンドランを繰り返す一撃離脱戦法で、史上最多の352機を撃墜した、敵機撃墜数最多記録保持者。終戦後はソ連軍に抑留されるが、10年で釈放されドイツ空軍に復帰。晩年は狭心症を患い、71歳で死亡。
2005年
【死去】サイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)【活動家/オーストリア】ナチスドイツ政権下のユダヤ人迫害に関わった戦犯の確保にその人生を費やしたユダヤ人活動家。妻を含む98人の親族がナチスによるユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの犠牲者となり、第二次大戦が終わると、アルゼンチンに潜伏していたアドルフ・アイヒマンに代表される、世界中に散った戦犯たちを"ナチ・ハンター"として捜索、逮捕、そして処罰することに尽力。その生涯でナチスドイツ関係の1100人もの戦犯を確保したという。老衰で96歳没。
2014年
【死去】土井たか子【政治家】"おたかさん"の愛称で親しまれ、社会党、社会民主党出活動した昭和を代表する女性政治家。日本社会党委員長、衆議院議長、社会民主党党首などを歴任し、我が国では女性初の衆議院議長、政党党首だったことでも知られる。肺炎で85歳没。