『日本陸軍軍曹の時の横井昭一』

1997年9月22日は、アメリカとの太平洋戦争のグァムの戦いに日本帝国陸軍軍曹として参加し、日本の敗戦を知らぬまま終戦後27年間を彼の地のジャングルで生き延びた横井昭一が死亡した日である。
帰国後の会見で使った言葉を要約した「恥ずかしながら帰ってまいりました」は当時の流行語となり、NHKテレビ放送の報道特別番組『横井庄一さん帰る』は、59,8パーセントという歴代屈指の視聴率を記録した。
戦争の爪痕、その復興の歩みを指して“戦後はまだ終わっていない”という表現があるが、横井の場合、ひとり戦争を終えることもないまま1972年までが過ぎ去っていたというから、今ではにわかに考えられない話である。
しかし、これとよく似たケースがフィリピンの密林から1974年に帰国した小野田寛郎陸軍少尉の事件のように存在し、実際に起こりえる物語であったのである。
帰国後の横井氏の人生は、その奇妙な戦争体験、サバイバル術の逸話で引っ張りだことなった。
戦争が引き起こした極めて不思議なエピローグとして、その不幸は、これからも語られ続けるであろう。

(Wikipedia 横井昭一より使用。Public Domain)

9月22日の不幸

1年
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1989年
【死去】横井庄一【軍人】陸軍伍長。アメリカとの太平洋戦争のグァムの戦いに日本帝国陸軍軍曹として参加し、日本の敗戦を知らぬまま終戦後27年間を彼の地のジャングルで生き延びた。帰国後の会見での言葉「恥ずかしながら帰ってまいりました」は当時の流行語となり、NHKテレビ放送の報道特別番組『横井庄一さん帰る』は、59,8パーセントという歴代屈指の視聴率を記録した。帰国後の横井氏の人生は、その奇妙な戦争体験、サバイバル術の逸話で引っ張りだこに。1974年に参議院議員選挙に出馬するも落選。最期は心臓発作で82歳没。
1999年
【死去】淡谷のり子【歌手】昭和初期を代表するシャンソン歌手。『別れのブルース』等多くのブルースを冠した曲をリリースしたために"ブルースの女王"といわれた。晩年はテレビ『ものまね王座決定戦』等の歌番組で、辛口のご意見番として活躍した。老衰により92歳没。
2015年
【死去】岸朝子【作家】料理記者、食生活ジャーナリスト。後に世界的な人気も獲得した人気テレビバラエティ『料理の鉄人』の審査員として「おいしゅうございます」の名台詞とともに活躍した。心不全で91歳没。