『1926年のフロイトのポートレート』(Ferdinand Schmutzer撮影)

1939年9月23日は《精神分析》という概念をつくりあげたオーストリアの精神科医、ジークムント・フロイトが死亡した日である。
心的外傷、夢判断、自我、無意識の研究など、フロイト出現以前の脳科学とは遙かに異なる概念をもたらした功績は、それぞれのジャンルに於けるコペルニクスやダーウィン、ニュートンと並ぶとも言われており、そのことからもいかにフロイトが革命的な進化を人類にもたらしたかがわかる。フロイトの主張はあまりに独創的な言説であっただけに、当初は世間や同業者やからの反発も強く、理解者と研究に理想的な環境を求め、慣れないアメリカに移り住んだ時期もあった。1938年にナチスドイツによるオーストラリア侵攻の際にはロンドンに亡命し、最晩年は彼の地で治療と研究、執筆活動を続けた。そして末期ガンに冒されていた83歳の時に、主治医に「時がきたら手を貸してくれる約束だった。いま生きていることははもう無意味な拷問以外のなにものでもない」と、大量のモルヒネを投薬するように指示し、自主的に死んでいったという。稀代の精神分析医が、死への欲求と向き合った末に迎えた最期は、極めて自殺に近いものであった。

(写真はWikipedia Sigmund Freudより使用。Public Domain)

9月23日の不幸

1939年
【死去】ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)【精神科医/オーストリア】

《精神分析》のジャンルをつくりあげたオーストリアの精神科医。心的外傷、夢判断、自我、無意識の研究など、それまでの精神医学に革命的な進化をもたらした。1938年にナチスドイツによるオーストラリア侵攻の際にはロンドンに亡命し、最晩年は彼の地で治療と研究、執筆活動を続けた。ガンにより83歳没。主治医に大量のモルヒネを投薬するように指示し、極めて自主的に死んでいった。

1978年
【射殺】ライマン・ボストック(Lyman Wesley Bostock, Jr.)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

1972年のドラフトでミネソタ・ツインズの26巡目指名(全体の596番目)により大学を中退したメジャーリーガー。1975年4月8日にメジャーデビューし、1977年シーズンにはリーグ2位という.336の高打率を記録し、シーズン終了後にカリフォルニア・エンゼルスに移籍。1978年シーズン終盤の9月23日の試合後にインディアナ州ゲーリーに住む叔父、トーマス・ターナーを訪ねた際に、同じくターナー宅を訪ねていたバーバラ・スミスとの浮気を疑われその夫のレナードに誤って射殺された。没年27歳。

1987年
【死去】ボブ・フォッシー(Bob Fosse)【映画監督・振付師/アメリカ合衆国】

ブロードウェイ・ミュージカルの『シカゴ』等ので振付師として活躍した後に映画監督に転身。1973年には『キャバレー』アカデミー監督賞、演劇『Pippin』でトニー賞、ライザ・ミネリのテレビライブ『Liza with a Z』でエミー賞を受賞。さらに1979年には映画『オール・ザット・ジャズ』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。心臓発作で60歳没。

1996年
【死去】藤子・F・不二雄【漫画家】

富山県高岡市の小学生時代からの同級生である我孫子素雄とのコンビで「藤子不二雄」として活躍した国民的人気漫画家。本名・藤本弘。『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『パーマン』『エスパー魔美』『忍者ハットリくん』『プロゴルファー猿』等の代表作全てがアニメ化・映画化されるという現代のマンガビジネスの基礎ともいえるミックスメディアをいち早く実現した黄金時代を1970年代から1980年代にかけて築いた。それまでも作品ごとに担当を分けていたが、1986年に藤本が胃ガンにかかったことを受けて死後の財産分与で争わないがために1987年にコンビを解消し、以降は藤子・F・不二雄名義で活動。前述の『ドラえもん』に象徴される、誰にでも愛される少年向けSFマンガを生涯描き続けた。自宅の仕事部屋で作業中に気を失い、そのまま肝不全で62歳没。

2012年
【射殺】コーリー・サンダース(Corrie Sanders)【プロボクサー/南アフリカ共和国】

2003年3月8日に当時のWBO世界ヘビー級王者、ウラジミール・クリチコとと対戦し2回TKO勝ちで第13代WBO世界ヘビー級王者に輝いた世界的ボクサー。通算46戦42勝31KO4敗。2012年9月22日に甥の誕生日を祝うために滞在していた南アフリカ・ブリッツのレストランで強盗事件に巻き込まれ、銃弾が腹部などに直撃。翌日46歳で死亡した。

2015年
 【急死】中村勝広【プロ野球選手・指導者】

1990年代の低迷期に6年間にわたり阪神タイガースの監督を務めたプロ野球監督であり、その後、オリックスバッファローズのGMと監督、そして2012年からは阪神のGMを歴任した人物。現役選手としては早稲田大学からドラフト2位で1971年に阪神タイガースに入団。堅実な守備の二塁手として活躍した。阪神のGM在任中の2015年9月23日、チームの東京遠征先の滞在ホテルにて心肺停止しているところを当時の南信男球団社長らにより発見された。死因は脳出血。没年66歳。