『東京オリンピック柔道80キロ超級で優勝し、金メダルを獲得した猪熊功』(写真左から2番目)

2001年9月28日は、1964年に行なわれた東京オリンピックの柔道80キロ超級で見事優勝し、オリンピック、世界選手権、全日本選手権の3つのタイトルを獲得する“柔道三冠”を史上初めて成し遂げた柔道家、猪熊功が自刃により死亡した日である。
身長173センチ体重88キロと、格闘家として決して恵まれていたとはいえない体型でありながら、あくまでも無差別級にこだわり、自身は代表選考により出場できなかった東京オリンピック無差別級の優勝者、オランダのアントン・ヘーシンクと戦うために翌年の世界選手権無差別級にエントリー。しかしその大会中にヘーシンクは引退し、猪熊は見事に優勝を遂げたものの、戦う相手を失い、自らも27歳という年齢で引退した。引退後は東海建設に入社し、東海大学の柔道部強化にも貢献。後に東海大学の教授にもなり、後進の指導にあたった。そんな天才柔道家が2001年、社長を務めていた東海建設の経営不振、243億円という莫大な負債を抱えたことへの責任をとって脇差しを自らの首に突き立てたのがのである。社長室の自らの机の上には、“怨念”の文字が大書されていたという。果たして、若くから勝利を重ね続けた日本の柔道王が、その人生の最後に戦い、勝てなかった相手とは何であったのだろうか。

(写真はWikipedia 猪熊功より使用。Public Domain)

9月28日の不幸

1961年
【死去】アンドレ・ブルトン(André Breton)【詩人/フランス】『シュルレアリスム宣言』を発表し、「シュルレアリスム」を創始した詩人、文学者。『シュルレアリスム革命』誌の編集長も務めた"シュルレアリスムの父"として知られるが、ダリを追放するなど、強権的な振る舞いも多かった。没年70歳。
1977年
【テロ】【航空事故】「ダッカ日航機ハイジャック事件」フランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港発東京国際空港行きの日本航空472便が、経由地のムンバイ空港を離陸直後、武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた事件。バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸されたままの交渉の結果、日本は乗員上客151名の身代金として600万ドル、さらには収監されていた日本赤軍メンバーとその支援者9名の解放を受け入れた。
1983年
【自殺】ロイ・サリヴァン(Roy Cleveland Sullivan)【公園監視員/アメリカ】アメリカ合衆国バージニア州にあるシェナンドー国立公園に勤めていた公園監視員。その人生に於いて7回、それも異なる場所で雷に打たれたにもかかわらず生き残った《人間避雷針》。片思いに悩み71歳の時に拳銃自殺。
1989年
【死去】フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Edralin Marcos)【政治家/フィリピン】第10代フィリピン大統領として20年間にわたり独裁体制を築いた政治家。妻・イメルダの1億ドルともいわれる贅沢な膨大な洋服コレクションでも知られる。アメリカとの関係悪化後、次期大統領となったコラソン・アキノに先導された「エドゥサ革命(人民革命)」により失脚。亡命先のハワイにて、腎炎、肺炎、心臓疾患の合併症により72歳没。
1991年
【死去】マイルス・デイヴィス(Dewey Davis III)【ミュージシャン/アメリカ】20世紀を代表するジャズ・トランペッターにして作曲家。1940年代から1990年代に至るまで、それぞれの時代に即したジャズを追求し、その一線で活躍し続けた。代表作に『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』他。脳梗塞、肺炎、呼吸不全の合併症で死去。没年65歳。
2001年
【自殺】猪熊功【柔道家】1964年に行なわれた東京オリンピックの柔道80キロ超級で見事優勝し、オリンピック、世界選手権、全日本選手権の3つのタイトルを獲得する"柔道三冠"を史上初めて成し遂げた柔道家。27歳での引退後は東海建設に入社し、東海大学の柔道部強化にも貢献。後に東海大学の教授にもなり、後進の指導にあたった。2001年、社長を務めていた東海建設の経営不振、243億円という莫大な負債を抱えたことへの責任をとって脇差しを自らの首に突き立て自刃。没年63歳。
2009年
【大量殺人】「ギニア野党集会虐殺」ギニアの第3代大統領ムサ・ダディス・カマラに反対する野党集会において、大統領警護隊が無差別発砲。157名もの死亡者を出し、その中には強姦殺人もあったといわれている大惨劇である。