『1923年のジャン・コクトーの肖像(写真左)と1962年、ロッテルダムで出演するエディット・ピアフ』

1963年10月11日は、20世紀のフランスを代表する男女2人のアーティストがほぼ同時に死亡した日である。
片や不朽の名曲『Hymne à l'amour(愛の讃歌)』で知られるフランスの国民的歌手、エディット・ピアフ。もう片方は小説家・詩人・映画監督という多才さで知られるアーティストであり、代表作『恐るべき子供たち』で知られるジャン・コクトー。1940年にはエディット・ピアフのための演劇『Le Bel Indifferent』をコクトーが作ったように、公私ともに交流のある二人であった。そして1963年10月11日に、ピアフが肝臓ガンで死亡すると、そのニュースを聞いたコクトーは激しく落ち込み(ピアフの死が公表されたのは10月12日)、その同日の晩、寝床に就くとそのまま心臓発作で死亡したという。ピアフは47歳、コクトーは74歳という生涯だった。それぞれの活動を通じ、生前は世界的ともいえる絶大な影響力を人々に与えてきた二人だけに、お互いへの影響力もまた、途轍もなく大きかったのであろう。日本にも「病は気から」という慣用句があるが、「死もまた気から」とでもいうかのようなこの連鎖的な悲劇は、《他人の死が伝染する》というひとつの珍しい不幸である。

(写真はWikipedia Édith Piaf, Jean Cocteauより使用)

10月11日の不幸

1915年
【死去】ジャン・アンリ・ファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre)【生物学者・教育者/フランス】

昆虫の生態を世間に知らしめた代表作『昆虫記』で知られるフランスの生物学者。晩年まで研究を続け、1910年に国民運動の後押しもあり、85歳でレジオンドヌール勲章を受賞。1915年10月11日に老衰と尿毒症で91歳没。

1963年
【急死】ジャン・コクトー(Jean Cocteau)【小説家・詩人・劇作家/フランス】

小説家・詩人・劇作家という多才さで知られる20世紀のフランスを代表するアーティストであり、1950年にジャン=ピエール・メルヴィルが監督した代表的小説『恐るべき子供たち』の作者として知られる人物。映画『美女と野獣』等を手がけた映画監督としても知られている。1963年10月11日に友人であり大ファンであった歌手のエディット・ピアフの訃報を聞き、ショックのあまり同日の晩、寝床に就くとそのまま心臓発作で死亡した。没年74歳。

1963年
【死去】エディット・ピアフ(Édith Piaf)【歌手/フランス】

売春宿で幼少期を送る貧しい身の上からクラブ歌手を経て、1945年に発表した『La vie en rose(ばら色の人生)』で世界的名声を獲得。その後も不朽の名曲『Hymne à l'amour(愛の讃歌)』『Milord(ミロール)』等で知られる、フランスの国民的歌手となった。肝臓ガンのため47歳で死亡。その死は公表されなかったものの、関係者を通じてその訃報はコクトーにまで届いた。


2008年
【自殺】【怪死】三浦和義【実業家・タレント・随筆家】

雑貨輸入会社「フルハムロード」を経営していた実業家。1981年11月18日に滞在中のアメリカ・ロサンゼルスで妻の一美が射殺された事件で保険金約1億5,500万円を受け取ったが、その保険金殺人であったという嫌疑が1984年に『週刊文春』誌上で『疑惑の銃弾』として公開され、話題になった人物。その後の公判では証拠不十分として三浦の刑は確定せず、釈放後もたびたびマスメディアに登場し世間を賑わせる活動を続けていた。その一方で2003年には万引き事件を起こし逮捕されるなど、私生活でも不安定な様子をみせることもしばしばであり、メディアから遠ざかりつつあった2008年2月22日にサイパンで旅行中のところをアメリカ捜査当局に殺人罪及び殺人共謀罪で身柄を拘束され、結果的には殺人共謀罪の容疑で再びロサンゼルスの留置場に移送された。しかし到着翌日の10月11日に着ていたシャツで首を吊って自殺。没年61歳であった。