『頭に宝石の飾りをつけたマタ・ハリ(1910年撮影)』

1917年10月15日は、第一次大戦中にフランス、ドイツ間で二重スパイとして活躍したといわれる妖艶なダンサー、マタ・ハリがフランス軍により銃殺刑に処された日である。
マレー系オランダ人としてレーワルデンに生まれたマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレは、パリに移り住み、“ジャワ島からやってきたダンサー、ストリッパー”として「マタ・ハリ」を名乗る。同時に、軍人、政治家などを顧客に持つ高級娼婦として活躍したために、ドイツ、フランス両国の要人たちの秘密を見聞きする機会が多く、それに目を付けた両国が、彼女をスパイとして政治利用したという。具体的な秘密漏洩の記録は残っておらず、国家レベルのメインで動いていたスパイではなかったというのが現在わかっているところであるが、ドイツ軍のスペイン駐在官が、彼女をドイツのスパイ「H-21」という暗号で通信したところをフランス軍が解読したことは事実であり、実際にスパイであったということすら怪しかったが、戦況が不利であったフランス軍にとっては、そのスケープゴートとしてマタ・ハリを逮捕したとも言われている。その処刑にあたっては、数々の都市伝説的な逸話が残っており、「その美貌に惑わされないように銃殺者が目隠しをした」「銃殺者に投げキッスをした」等、真実とは思えない脚色が彼女の悲劇的な死を妖しく彩っている。

(写真はWikipedia Mata Hariより使用。Public Domain)

10月15日の不幸

1917年
【処刑】マタ・ハリ(Mata Hari)【ダンサー・スパイ/オランダ】オランダからパリに移住し、第一次大戦中にフランス、ドイツ間で二重スパイとして活躍したといわれる妖艶なダンサー、ストリッパー、高級娼婦。軍人、政治家などを顧客に持っていたために、ドイツ、フランス両国の要人たちの秘密を見聞きする機会が多く、それに目を付けた両国が、彼女をスパイとして政治利用したという。ドイツ軍が、彼女をドイツのスパイ「H-21」という暗号で通信したところをフランス軍が解読し逮捕。銃殺刑にされた。没年41歳。
1933年
【死去】新渡戸稲造【教育者・思想家】1984年11月発行の5千円札の図案になった人物。札幌農学校、帝国大学卒業後、アメリカ、ドイツなどに留学し教職に。英語で書かれた著書『武士道』は世界的なベストセラーに。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(現新渡戸文化短期大学)初代校長等を歴任。国際連盟事務次長も務めた。カナダで行なわれた太平洋問題調査会会議に参加後、ヴィクトリアで出血性膵臓炎のため死去。没年71歳。
1980年
【現役引退】「山口百恵引退」東京プリンスホテルで行なわれた『ホリプロ20周年記念式典』に出演し、『いい日旅立ち』を歌った後の記者会見をもって、正式に芸能界を引退。1972年のデビュー以来、実質7年半のキャリアだった。引退後は俳優の三浦友和と結婚し主婦に。
2001年
【死去】日詰昭一郎【ミュージシャン】高校時代からうじきつよしとともに子供ばんどを結成、ベース担当。脱退後の2001年に脳出血で死去。没年43歳。