『マリー・アントワネットのギロチン刑の風景。処刑人が切断した生首を民衆に掲げる』(作者不明/1973年作/パリ・カルナヴァレ博物館収蔵)

1973年10月16日は、フランスの王妃、マリー・アントワネットが近親相姦の罪によりギロチン刑に処された日である。
中世を代表する伝説の貴婦人、マリー・アントワネットはその独特の高く持った髪型や香水、ドレスのデザイン等、あらゆる面において中世ヨーロッパ上流階級のファッション、文化に絶大な影響を及ぼした、いわば当時のファッション・アイコン的な存在であったといわれている。
様々な肖像画が残っているが、彼女の容姿は決して絶世の美女としては描かれておらず、実際にそのようであったと言い伝えられているが、その身のこなし、肌の質感など、会った誰もを虜にする強烈な魅力の持ち主であったというのが衆目の一致するところだ。
1789年に始まったフランス革命戦争で夫のルイ16世とともに捕らえられ革命裁判でほぼ無条件の有罪判決を受け死刑へと向かったその理由は、「息子に近親相姦を迫った」といういわれのないものであったとされている。
彼女が発したとされる「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という貴族趣味爆発の発言ばかりが後世にクロースアップされた彼女であったが、近年、それも間違いであったという見方が有力である。
彼女のその慎ましやかな人間性は、処刑人の足を踏んだ際に言った「ごめんなさい、わざとではありません」という謝罪が最期の言葉であったというエピソードからも滲んでいる。

(画像はWikipedia Marie Antoinetteより使用。Public Domain)

10月16日の不幸

1590年
【殺人事件】「ジェズアルド殺人事件」イタリア貴族であり、作曲家のカルロ・ジェズアルドが、妻とその愛人であるファブリツィオ・カラーファを寝台の上で殺し、一説によれば自らの赤子も殺したと言われている事件。
1793年
【死刑】マリー・アントワネット(Marie Antoinette)【王妃/フランス】フランス国王ルイ16世王妃。その独特の高く持った髪型や香水、ドレスのデザイン等、様々な面で中世ヨーロッパ上流階級のファッション、文化に絶大な影響を及ぼした、いわば当時のファッション・アイコン的な存在。1789年に始まったフランス革命戦争で夫のルイ16世とともに捕らえられ革命裁判でほぼ無条件の有罪判決を受け死刑へと向かったその理由は、「息子に近親相姦を迫った」といういわれのないものであった。没年37歳。
2003年
【死去】スチュ・ハート(Stu Hart)【プロレスラー・プロモーター/カナダ】(つづきから)そしてクリス・ジェリコ、クリス・ベノワ、ロディ・パイパー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック等数多くのスーパースターを育て上げた名伯楽としても知られる。脳梗塞で88歳没。2010年にWWE殿堂入りを果たした。
2003年
【死去】スチュ・ハート(Stu Hart)【プロレスラー・プロモーター/カナダ】アメフト選手出身のカナダ人プロレスラー、プロモーター。シュートのできるレスラーとしてアメリカマット界を転戦後、カナダのカルガリーで「クロンダイク・レスリング」を立ち上げ、プロモーターに。ダンジョンと呼ばれる道場から自らの息子であるブレット・ハート、オーエン・ハート他のハートファミリー、(つづく)
2014年
【死去】ティム・ハウザー(Tim Hauser)【歌手/アメリカ】『Birdland』等のヒット曲で知られる男女混声ジャズ・コーラスグループ「マンハッタン・トランスファー」のリーダーであり創設者。心不全で72歳没。
2015年
【死去】盛田幸妃【プロ野球選手】ドラフト1位指名を受け入団した横浜大洋ホエールズ、移籍した近鉄バファローズで活躍した長身速球派右腕。1992年に中継ぎ投手として最優秀防御率賞を獲得。右打者の内角をえぐるシュートを武器に活躍したが、時としてその挑戦的なプレイスタイルは危険球退場に発展した。1996年に中根人とのトレードで近鉄に移籍。1998年にゴルフボールほどの大きさの髄膜腫が発見され摘出手術を受ける。(つづく)
2015年
【死去】盛田幸妃【プロ野球選手】(つづきから)その後必死のリハビリ期間を経て2001年に1,082日ぶりに勝利投手となり、同年オールスターにも出場し、カムバック賞を受賞。2002年に引退、その後横浜に球団職員として復帰し、野球解説者として活動も始めた矢先の2005年に脳腫瘍が再発。翌年2月に摘出手術に成功したが、2013年に再発し、2015年に転移性悪性腺腫で死亡。没年45歳。