『ゾルゲをモチーフにしたソ連の記念切手(1965年)』

1941年10月18日は、ソ連ののスパイ、リヒャルト・ゾルゲを中心としたゾルゲ諜報団による「ゾルゲ事件」が発覚し、諜報団が一斉逮捕された日である。
マックス・クラウゼン(ソ連人スパイ)、尾崎秀実(朝日新聞記者)、ブランコ・ド・ヴーケリッチ(ユーゴスラビア人スパイ)らと日独連合軍の情報を本国に送っていたゾルゲは、アメリカ共産党員の北林トモの逮捕から芋づる式に捕らえられたが、死地で得たその貴重な諜報活動にもかかわらず、当時のソ連書記長のスターリンからは二重スパイの嫌疑をかけられていたために無視をされていたという。「ゾルゲ事件」発覚後の処刑直前に発した「ソビエト赤軍、国際共産主義万歳」の言葉が、祖国からも見捨てられた状態のスパイによるものであったと考えると、悲哀を帯びてくる。信念を貫いて国のために命を捨てたスパイと、それを省みない祖国。スターリン体勢の終局後、祖国ソ連ではその働きに関し“日独との直接会戦を防いだ英雄”として評価されるようになり、記念切手が発売されるほどの国民的英雄となったが、果たしてその孤独なスパイの魂は、救われたのであろうか?

(写真はWikipedia リヒャルト・ゾルゲより。Public Domain)

10月18日の不幸

1931年
【死去】トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)【発明家/アメリカ】白熱電球、蓄音機、活動写真(映画)等、文明生活を一変させる大発明の他、生涯に1300もの発明を残した"発明王"。少年時代に好奇心が強過ぎて教師からクレームが出たという逸話でも知られている。晩年は死者との交信を研究したり降霊術を信じるなど、オカルト分野にまでその好奇心を向けていた。糖尿の合併症で84歳没。
1978年
【死去】ラモン・メルカデル(Jaime Ramón Mercader del Río Hernández)【諜報員/スペイン】

ソ連のNKVD(内務人民委員部)で活動したスペイン生まれの諜報員。スターリンの政敵であったレフ・トロツキーを亡命先のメキシコで暗殺したことで知られている。メキシコで20年間服役後にソ連に渡りスターリン勲章を受勲したが、既にスターリン亡きソ連では彼の居場所はなく、ソ連共産党にも入党できなかったため、晩年はフィデル・カストロの招聘もありキューバに移り住み、キューバ外務省顧問として余生を送った。肺炎で64歳没。

2000年
【死去】ジュリー・ロンドン(Julie London)【女優・歌手/アメリカ合衆国】

エレベーターガールとして勤務していたところをスカウトされて24歳で映画『ジャングルの妖女』に出演し、女優としてデビュー。その後結婚と出産、離婚を経て歌手活動を開始。デビューアルバムからシングルカットされた『Cry Me a River』がヒットし、一躍人気歌手に。その後も『You'd Be So Nice To Come Home To』をヒットさせるなど、歌手として活躍。1995年に脳卒中で倒れて以降は活動を止め、2000年10月18日に心臓発作で74歳没。過度の飲酒が原因であったといわれている。

2005年
【交通事故死】 ジョニー・ヘインズ(John Norman Haynes)【サッカー選手/イギリス】

17歳でデビューしたフラムの中心選手として活躍し、イングランド代表チームのキャプテンとしても活躍したフットボールプレイヤー。フラムでは歴代2位の146ゴールを挙げ、代表チームでも18得点を記録している。2005年10月17日、自動車を運転中に脳出血を起こし、すぐさま病院に運ばれたが脳死状態に。翌日人工呼吸器が停止され死亡した。没年71歳。

2007年
【急死】木原光知子【競泳選手・タレント】

高校生の16歳当時に出場した東京オリンピックで国民的アイドルとなった女子競泳選手。愛称は"ミミ"。その後タレント・モデルに転身し、幅広い活躍をした。2007年10月13日に神奈川県平塚市内で水泳の指導中に倒れ、意識不明のまま病院に搬送されたが、同月18日にクモ膜下出血で死亡した。没年59歳。

2008年
【死去】安田義章【AV男優・性風俗研究家】

生活心理学会に入門して以来、長年にわたり性風俗研究家・高橋鐵の助手を務め、様々なエロ現場で活動。1990年代以降はAV男優として100本以上のアダルトビデオ作品に出演、2006年には自らの名義で著書『性豪-安田老人回想録(聞き手 都築響一)』を発表した。老衰で90歳没。

2009年
【死去】剛竜馬【プロレスラー】

16歳の頃国際プロレスデビュー。リングネームは公募により付けられた。得意技はランニング・ネックブリーカー・ドロップ。その後新日本プロレス、全日本プロレス、UWF(第1次)を転戦し、その後はパイオニア戦志、オリエンタルプロレス等のインディー団体を経て「剛軍団」を旗揚げ、"プロレスバカ"のニックネームと"ショア!"のかけ声でマット界の話題をさらった。セミリタイア状態の2003年にひったくり事件が報じられるなど(不起訴)晩年は活躍の場を失っていた。2009年に敗血症により53歳没。10月7日の自転車事故で開放骨折した右手首から細菌が入ったことが原因といわれている。