『18歳で上京した頃に撮影した中原中也のポートレート』(1925年撮影/銀座・有賀写真館で撮影)

1937年10月22日は、詩人、中原中也が死亡した日である。
日本のダダイズムを代表する詩人であり、ランボーをはじめとしたフランス文学の代表的訳者でありながら、その生涯はほとんど原稿料を得られるような仕事はなく、実家からの仕送りに頼りながらの生活であったという。
まだ2歳の長男文也に先立たれて幻覚まで見るような精神状況になった際も、支えたのは実母フクであった。
フクに勧められて入院療養を終えた中也は、『春日狂想』の冒頭でその無念を綴った。

「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」

1937年に中原中也30歳で、そしてその翌年に次男までが2歳で早世したが、フクは1980年100歳までその人生を生き抜いた。

その詩人の短い人生は、悲しみに満ちている。

(写真はWikipedia 中原中也より使用。Public Domain)

10月22日の不幸

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