『ブルックリン・ドジャースのユニフォームを着たジャッキー・ロビンソン』1950年撮影

1972年10月24日は、“黒人初のメジャーリーガー”と言われているジャッキー・ロビンソンが死亡した日である。
“カラーライン”なる、曖昧だが厳然たる人種差別が存在していた創成期のメジャーリーグ・ベースボール。
ジャッキー・ロビンソン以前の黒人プレイヤーたちは、“ニグロ・リーグ”と呼ばれる独立リーグで、その技術を発揮するほかなかった。
そこには170キロ以上を投げたという伝説の投手サチェル・ペイジ等、数々の名プレイヤーたちが存在したが、彼らがメジャーの脚光を浴びることはなかった。
白人とのハーフであったモーゼス・フリート・ウォーカーは、1884年にメジャーリーグに出場したものの、彼の実力不足も相まってその後にアフリカ系アメリカ人が続くことはなく、“カラーライン”の存在感は年々増していったのだった。
そんな中、1945年に戦力を求めていたブルックリン・ドジャースのブランチ・リッキー会長の依頼で、当時のシーズン最多安打の記録保持者、ジョージ・シズラーがニグロ・リーグをスカウティング、そこで白羽の矢が立ったのがジャッキー・ロビンソンだった。
同年にマイナー契約をし、1947年4月15日にメジャーデビュー。
その日までのオープン戦では、「一緒にプレイしたくないチームメイトが移籍する」「対戦相手が黒人選手との試合を忌避し試合が組まれない」等という世情の中での、強硬出場であった。
リッキー会長は予想される差別行為を想定し、ロビンソンに「決して仕返しをしないガッツを持て」とアドバイス。その場で平手を食らわせると、ロビンソンは「頬はもうひとつある」といったと言われるほど強い決意を持っての挑戦だった。
その年いきなり新人王に輝く活躍を見せたジャッキー・ロビンソン。
その後の活躍は、リーグMVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、6度のオールスターゲーム出場と、文句のないスーパースターといえるものであった。
彼の死後の2004年、メジャーリーグは彼のデビューした4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デ
ー」に制定し、彼の背番号42を、希望するプレイヤー全員で身に着けるということを行なっている。
彼を追いかけた多くのプレイヤー、関係者たちによって、《不幸の歴史》は、今では《誇りの歴史》になったのだ。

(写真はWikipedia Jackie Robinsonより。Public Domain)

10月24日の不幸

1950年
【轢死】【交通事故死】ピストン堀口【プロボクサー】昭和初期の日本ボクシング界を代表する人気ボクサー。日本フェザー級、東洋フェザー級、日本ミドル級の元チャンピオン。ロープに追い詰めて左右の連打を繰り出す"ピストン戦法"で知られる。通算176戦138勝82KO24敗14分け。兄弟4人全員がボクサーであった。引退後はボクシングに携わりながら探偵業等もこなしていたが、1950年10月24日の深夜に泥酔して終電を逃して線路脇を歩いていたところを列車に撥ねられ死亡。没年36歳。
1957年
【死去】クリスチャン・ディオール(Christian Dior)【ファッション・デザイナー・実業家/フランス】"オートクチュールの帝王"としてパリのファッション界を牽引し、自身のブランド「クリスチャン・ディオール」を世界的なブランドにしたフランスを代表するファッションデザイナー。イタリアのモンテカティーニ・テルメでの休暇中に心臓発作で急死。原因は魚の骨を喉に詰まらせたとも、旺盛な性生活にあるとも噂されたが、真相は不明。没年52歳。自身のブランドの後任デザイナーはイヴ・サン=ローラン。
1972年
【死去】ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)【野球選手/アメリカ】(つづきから)引退後はテレビ解説者、実業家として活躍したが、生来の糖尿病により晩年は右目を失明、歩行困難になるなどの合併症に苦しみ死亡。没年53歳。死後の2004年、メジャーリーグは彼のデビューした4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」に制定し、彼の背番号42を、希望するプレイヤー全員で身に着けるということを行なっている。
1972年
【死去】ジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)【野球選手/アメリカ】"カラーライン"なる、曖昧だが厳然たる人種差別が存在していた創成期のメジャーリーグで"アフリカ系黒人初のメジャーリーガー"と言われている野球選手。1947年4月15日にブルックリン・ドジャースの1塁手としてメジャーデビュー。いきなり新人王に輝く活躍を見せ、その後は、リーグMVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、6度のオールスターゲーム出場と、文句のないスーパースターといえる成績を残した。(つづく)
1991年
【死去】ジーン・ロッデンベリー(Gene Roddenberry)【テレビ・映画プロデューサー/アメリカ】アメリカの超人気SFシリーズ『スタートレック』シリーズの生みの親。1966年のテレビドラマ版『宇宙大作戦』では脚本、監督を務め、映画化されてさらに巨大化してゆく同作の映画版6作目『スタートレックVI 未知の世界』の制作中に心肺停止し、運ばれた診療所で死亡した。没年70歳。死後は本人の希望で宇宙葬が行なわれた。
2014年
【交通事故死】ムブイレニ・ムラウジ(Mbulaeni Mulaudzi)【陸上選手/南アフリカ】2004年アテネオリンピック男子800mで準優勝した南アフリカの国民的英雄であった陸上選手。2013年に引退後、南アフリカでの陸上大会へ向かう途中の自動車移動中に交通事故死。没年34歳。