『読売巨人軍現役選手時代の川上哲治』

2003年10月28日は、“打撃の神様”“赤バット”の名で知られた昭和初期のプロ野球を代表する名選手、川上哲治が死亡した日である。
東京巨人軍の中心選手として戦前戦後に活躍、1953年には日本プロ野球史上初の2,000本安打を記録した伝説的な選手であった。
そこに加え、引退後は読売巨人軍の監督に就任し、1965年以降、1973年まで、前人未踏の9年連続リーグ優勝“V9”に導き、指導者としても日本プロ野球の伝説となった。
指導者として一線を離れてからも、その野球に対する厳しい姿勢を最晩年までテレビ解説などで発信し続け、93歳で老衰で死亡。実質80年ほど野球界に関わり続けるという人生だった。
川上が着けた背番号16は永久欠番となっている。

(写真はWikipedia 川上哲治より。Public Domain)

10月28日の不幸

1年
準備中
1993年
【スポーツ】「ドーハの悲劇」サッカーの1994年FIFAワールドカップのアジア最終予選の日本代表対イラク戦で、後半ロスタイムにイラクのサルマンのヘディングで2ー2の同点に。この試合に引き分けたため、勝ち点差で韓国と並び、得失点差の関係で翌年のワールドカップアメリカ大会への出場を逃した。マイボール時に時間稼ぎのキープをしなかった武田修宏が批判の的となった。同年にJリーグが創設され、日本代表の悲願であるワールドカップ初出場が現実となってきた矢先の悲劇だった。
2006年
【殺人事件】トレバー・バービック(Trevor Berbick)【プロボクサー/ジャマイカ・カナダ】(つづき2から)2006年10月28日にジャマイカのノーウィッチにある教会の中庭で、鉄パイプによって撲殺されていたところを発見された。土地所有権で争っていた18歳の甥とその友人による犯行であった。没年52歳。
2006年
【殺人事件】トレバー・バービック(Trevor Berbick)【プロボクサー/ジャマイカ・カナダ】ジャマイカ出身のカナダ人ボクサー。カナダでプロデビューし、1981年4月11日にラリー・ホームズWBC世界ヘビー級タイトルに挑戦するも判定負け。しかし同年12月11日にモハメド・アリと対戦し判定勝ちし、アリを引退に追い込む。1986年に念願のWBC世界ヘビー級タイトルを獲得するが、初防衛戦でマイク・タイソンに2ラウンドTKO負け。1991年には来日し高田延彦との異種格闘技戦で敗れた。(つづく)
2006年
【殺人事件】トレバー・バービック(Trevor Berbick)【プロボクサー/ジャマイカ・カナダ】(つづきから)生涯成績50勝(33KO勝ち)11敗1引き分け。2000年に脳血栓が発見されライセンスが剥奪されて引退。晩年は荒廃した生活を送り、1991年に元マネージャーの女性から強盗、翌年ベビーシッターを強姦、文書偽造で懲役5年の刑に。15カ月の服役の後に、国外退去処分命令が下された。2002年にアメリカで交通違反を起こし再び国外追放に。(つづく2)
2009年
【早世】【動物事故】テイラー・ミッチェル(Taylor Mitchell)【シンガーソングライター/カナダ】2009年3月に自主アルバム『For Your Consideration』をリリースしたばかりのフォークシンガー。公演のため訪れていたカナダのノバスコシア州で、10月27日の午後にケープ・ブレトン高原国立公園をハイキングし、2頭のコヨーテに襲われた。他のハイキング客が救出したが、搬送先の病院で翌日早朝に死亡。没年19歳。1981年に犠牲となった3歳児以来、北米で2人目のコヨーテに殺された人物。
2013年
【死去】川上哲治【プロ野球選手・監督・解説者】(つづきから)引退後は読売巨人軍の監督に就任し、1965年以降、1973年まで、前人未踏の9年連続リーグ優勝"V9"に導き、指導者としても日本プロ野球の伝説となった。指導者として一線を離れてからも、その野球に対する厳しい姿勢を最晩年までテレビ解説などで発信し続け、93歳で老衰で死亡。川上が着けた背番号16は永久欠番となっている。
2013年
【死去】川上哲治【プロ野球選手・監督・解説者】"打撃の神様""赤バット"の名で知られた昭和初期のプロ野球を代表する名選手。東京巨人軍の中心選手として戦前戦後に活躍、1953年には日本プロ野球史上初の2,000本安打を記録した。通算安打2,351本、181本塁打、1,319打点。首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回、最多安打6回、MVP3回等々伝説的な成績を残した。(つづく)