『歌手とピアノとともにテルミンを演奏するレフ・テルミン』(1924年撮影)

1993年11月3日は、旧ソ連の発明家であり、諜報員でもあったレフ・テルミンが死亡した日である。
高校時代にペトログラード音楽院でチェロを学んだテルミンは、ペトログラード大学を経て軍事技術高等学校に送られ、ペトログラード物理工科大学の主任技術者として勤務し、1920年に電子楽器「テルミン」を発明。当時全ての電化を目指していたレーニンにも目に止まり、そのデモンストレーションでヨーロッパ各国の演奏旅行を許され、その後にニューヨークに滞在しテルミン等電子楽器の研究所を設立する。アメリカ滞在記にはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団との共演、米国で特許取得、世界初の電子楽器オーケストラを指揮するなど、幅広く活躍した。この頃、ソ連政府の諜報員としても活動していたといわれる。
しかし、1938年に突如としてソ連に帰国。アメリカでの2回目の結婚相手にも告げない緊急帰国であったために「ソ連による拉致」という説が囁かれたが、その真相は定かではない(本人は1989年に「自らの意志で帰国した」と発言)。そして1938年には「反革命組織への参加」という理由で逮捕され、投獄と強制労働を科されていた。この頃西側では「テルミンが処刑された」との噂が流れていたが、その実、KGBの傘下で盗聴器などを発明していたのだった。
1947年にテルミンの刑期は終わったものの、“反逆者”としての悪評は消えず、「レーニン蘇生計画」でかつての理解者を復活させようとする動きも見られた。
結果的には1987年以降の「ペレストロイカ」まで、テルミンは表立った活躍もできなかったが、晩年は精力的な海外演奏旅行と後継者育生に励んだ。
1922年という死の直前に、“レーニンとの約束だった”というソ連共産党に入党して翌年97歳で他界。その翌年にはソ連が崩壊した。
自らが産み出した世にも奇妙な電子楽器「テルミン」と同様に、ソ連という大国に翻弄されたその人生もまた、奇妙なものであったといえるだろう。

(写真はWikipedia レフ・テルミンより使用。Public Domain)

11月3日の不幸

1914年
【早世】【薬物中毒死】ゲオルク・トラークル(Georg Trakl)【詩人/オーストリア】第一次世界大戦直前のドイツ表現主義を代表する詩人。代表作に『嵐の花嫁』等。生前、貧困の中にあったが、その才能に感銘を受けたルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが匿名で援助をしていた。薬剤士官候補として第一次大戦の対ロシア戦線に志願し従軍するも、その惨状に絶えきれず拳銃自殺。仲間の介護により一命をとりとめるも精神病棟に入院後は鬱病が悪化。10代から麻薬を常用していたが、そのままコカインの過剰摂取で死亡した。没年27歳。
1954年
【死去】アンリ・マティス(Henri-Émile-Benoît Matisse)【画家/フランス】20世紀初頭に始まった「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる芸術運動の代表的画家。ゴッホやゴーギャンらの鮮やかな色彩感覚を引き継いだ色使いとコントラストの強い画風で数多くの名作を遺した。心臓発作で84歳没。
1959年
【早世】【交通事故死】高橋貞二【俳優】1945年に松竹に入社、佐田啓二、鶴田浩二とともに"松竹大船の三羽烏"と呼ばれ活躍。『楢山節考』『彼岸花』等出演作多数。自ら飲酒運転中に横浜市電に激突し死亡した。作家の団鬼六はこの自動車に乗る予定であったが、約束をキャンセルしたために難を逃れたという。没年33歳。1962年に妻もガス自殺を遂げた。
1993年
【死去】レフ・テルミン(Lev Sergeyevich Termen)【発明家/ソ連】旧ソ連の発明家、諜報員。1920年に電子楽器「テルミン」を発明。レーニンの目に止まり、そのデモンストレーションでヨーロッパ各国の演奏旅行を許され、その後にニューヨークに滞在しテルミン等電子楽器の研究所を設立。しかし、1938年に突如としてソ連に帰国。1938年には「反革命組織への参加」という理由で逮捕され、KGBの傘下で盗聴器などを発明していた。ペレストロイカ後の晩年は海外演奏旅行と後継者育生に励んだ。没年97歳。
2006年
【死去】ポール・モーリア(Paul Mauriat)【作曲家・バンドマスター/フランス】イージーリスニングを代表する『恋はみずいろ(L'amour Est Bleu "Love Is Blue")』等の作品で知られるミュージシャン。親日家であり、日本でも『ヘイ・ジュード』『はてしなき願い』が人気ラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』で使用されるなど、多くのメディアで活躍した。急性白血病による心不全で死去。没年81歳。
2006年
【死去】内山田洋【歌手】『長崎は今日も雨だった』『東京砂漠』等のヒット曲で知られるムード歌謡グループ「内山田洋とクール・ファイブ」のリーダー。1987年にリードボーカルの前川清が脱退したが、そのままクール・ファイブとして活動を続けた。肺ガンで70歳没。
2009年
【死去】三村敏之【野球選手・プロ野球指導者】1966年にドラフト2位で広島東洋カープに入団。小技の利いた遊撃手として1975年のリーグ初優勝に貢献。1979年〜1980年のリーグ連覇にも関わった。引退後も広島東洋カープのコーチ、二軍監督を歴任後、1994年〜1998年は一軍の監督に就任。2008年から東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部編成部部長に就任したが、在職中の2009年に肝臓疾患で休養に入り、心不全で死亡。没年61歳。
2014年
【死去】桂小金治【落語家・俳優・司会者】二代目桂小文治に入門したが、1952年の映画『こんな私じゃなかったに』で俳優に転身。その後はテレビバラエティの司会者として『アフタヌーンショー』『それは秘密です!!』等の人気番組を担当した。肺炎で88歳没。