『カダフィ大佐(写真右)と写る1977年のヤセル・アラファト』

2004年11月11日はパレスチナ解放戦線の指導者、ヤセル・アラファトが死亡した日である。
イスラエルに対抗するパレスチナゲリラの指導者、パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会議長として長年活躍した天才ゲリラが、後年平和主義に転向して1994年にノーベル平和賞を受賞するという、近代史上でも他に例を見ない振り幅で生きた巨人である。
だが、平和的解決の目前とされた1995年、イスラエル首相のイツハク・ラビンがテルアビブの平和集会でユダヤ人の青年に暗殺され、アラファトはパレスチナ・イスラエル両国からその元凶として敵視されてしまう。
ゲリラの戦士から平和を導く大統領、そしてまた、国家対立の元凶へ……
常に独立運動の最前線にい続けたアラファトは、その心の支えだった“パレスチナの民衆”を失って死んでいったことは、あまりに不幸な最期であったといえるだろう。

(写真はWikipedia Yasser Arafatより使用。Public Domain)

11月11日の不幸

1年
準備中
1938年
【チフス】メアリー・マローン【料理人/アメリカ】(つづきから)しかしその5年後に再び感染源となっていたところを確保され、以降23年間は再びノース・ブラザー島の病院を出ることなく過ごすこととなった。1938年に心臓発作からの全身麻痺で死亡。没年69歳。
1938年
【チフス】メアリー・マローン【料理人/アメリカ】世界で初めてのチフス菌の健康保菌者。20世紀初めのニューヨークで起きた腸チフス流行の原因となった人物とされ、富裕層宅の料理人として出入りしていたことがその病原菌をまき散らしている原因となっていた。"腸チフスのメアリー""Typhoid Mary"と呼ばれ各メディアを賑わせることになった。逮捕の後にノース・ブラザー島の病院に隔離されたが、裁判の後に釈放。(つづく)
1995年
【宗教】「ハルマゲドン」1995年5月16日に逮捕されたオウム真理教教祖、麻原彰晃が、著書等で「ハルマゲドン」が訪れる日と予言していたのが1995年11月11日であったために全国各地で厳戒態勢となったが、特に何も起きなかった。
1998年
【死去】淀川長治【映画評論家】雑誌『映画世界』の編集者、東宝映画宣伝部の勤務を経て、雑誌『映画の友』で映画評論家活動を開始。その後約32年にわたってテレビ朝日『日曜洋画劇場』の解説者として出演、「怖いですねー、恐ろしいですねー」「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」等の決まり文句で人気を博した。1998年11月11日に腹部大動脈瘤破裂からの心不全に死亡。没年89歳。前日に『日曜洋画劇場』の最期の収録を終えていた。
2001年
【急死】杉浦忠【プロ野球選手・監督】昭和30年代の南海ホークスの黄金期を支えた日本プロ野球史上最高ともいわれるアンダースローの投手。入団2年目で38勝4敗という驚異的な数字を記録し、その年のチームの日本一の原動力になった。通算成績187勝106敗。1970年の引退後は解説者として活動し、1985年に南海ホークスの監督に就任。同球団の福岡移転初年度まで務め、福岡ダイエーホークス初代監督になった。引退した選手たちによるプロ野球マスターリーグの札幌遠征で泊まったホテルで急性心筋梗塞で死亡。没年66歳。
2004年
【死去】ヤーセル・アラファート(Yasser Arafat)【軍人・政治家/パレスチナ】(つづきから)その元凶として軟禁されたアラファトは体調不良を訴えパリに搬送されたが、脳出血で死亡した。没年75歳。
2004年
【死去】ヤーセル・アラファート(Yasser Arafat)【軍人・政治家/パレスチナ】イスラエルに対抗するパレスチナゲリラの指導者、パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会議長として長年活躍したが、後年、平和主義に転向。1993年にイスラエルと和平協定を締結後、パレスチナ自治政府を立ち上げ、その初代大統領に就任した。1994年にノーベル平和賞を受賞。しかしイスラエル首相のイツハク・ラビンがテルアビブの平和集会で暗殺され、パレスチナとイスラエルは再び交戦状態に。(つづく)
2005年
【死去】ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)【経営学者/オーストリア・アメリカ】「現代経営学」「マネジメント」を発案したといわれるオーストリア出身の経営学者。1943年にアメリカ合衆国国籍を取得し、20年間もの間、ニューヨーク大学(現スターン経営大学院)で教鞭を奮った。老衰で95歳没。
2006年
【急死】村田渚【芸人】中学生からの同級生である桶田敬太郞とのコンビ「フォークダンスDE成子坂」で活躍したお笑い芸人。1999年のコンビ解散後は元坂道コロンブスの松丘慎吾と「鼻エンジン」として活動したが、クモ膜下出血で急死。品川区の自宅マンションで発見された。没年35歳。
2012年
【孤独死】桜井センリ【ミュージシャン・コメディアン・俳優】ロンドンで生まれ育った帰国子女で本名は桜井ヘンリー。昭和を代表するコミックバンド、クレイジーキャッツのメンバー(ピアノ)としてテレビ、映画で活躍。俳優としても映画『男はつらいよ』シリーズに様々な役で出演、活躍をした。2012年11月11日に新宿区の自宅で孤独死しているところを発見された。没年86歳。