『1956年の日本シリーズ制覇後の西鉄ライオンズの祝宴。写真左から豊田泰光、稲尾和久、監督の三原脩』

2007年11月13日は、プロ野球史上に残る大投手、“鉄腕”稲尾和久が死亡した日である。
プロ野球史上最多タイ記録のシーズン42勝、前人未踏の3年連続シーズン30勝以上、連続30試合勝利、史上最短での通算200勝等々という残した記録面での凄まじさもさることながら、1958年の巨人との日本シリーズ全7戦のうち6試合に登板、5試合の先発で4完投、第3戦以降は5連投であり、リリーフ登板した第5戦では自らサヨナラホーマーを放つなど、現在のスポーツ科学を超越したフル回転の活躍を見せ、“神様、仏様、稲尾様”という伝説的な一人舞台を完成させた。
その酷使もあって、実質8年で肩を壊して、怪我からの復帰後は以前のような活躍を見せることは叶わなかった。
しかし、その短くも鮮烈な全盛期は、“日本プロ野球史上最高の投手”といっても差し支えないであろう。
“鉄腕”の伝説はいまだに塗り替えることのできない、《生きた記憶》である。

(画像はWikipedia 稲尾和久より使用。Public Domain)

11月13日の不幸

1年
準備中
1973年
【死去】サトウハチロー【詩人・作詞家】童謡『ちいさい秋みつけた』 『うれしいひなまつり』歌謡曲『リンゴの唄』の作詞で知られる詩人、作詞家。日本作詩家協会会長、日本童謡協会会長、日本音楽著作権協会(JASRAC)会長を生涯務め続けた。心臓発作で70歳没。
2004年
【薬物過剰摂取】オール・ダーティー・バスタード(Ol' Dirty Bastard)【ミュージシャン/アメリカ】ニューヨーク・ブルックリン出身、ウータン・クランのメンバーとして活躍したヒップ・ホップ・ミュージシャン。2003年のロカ・フェラ・レコードと契約成立直後にドラッグの過剰摂取で体調を崩し翌年死亡。没年35歳。
2005年
【急死】エディ・ゲレロ(Eduardo Gory Guerrero Llanes)【プロレスラー/アメリカ】(つづきから)全盛期はWWEに参戦しスーパースターとして君臨。WWE王座を獲得するなど団体のエースとして活躍したが、遠征で滞在したミネアポリスのホテルで急死。死因は動脈硬化性疾患、没年38歳だった。
2005年
【急死】エディ・ゲレロ(Eduardo Gory Guerrero Llanes)【プロレスラー/アメリカ】ゴリー・ゲレロとその4人の息子たちからなるメキシコ系プロレス一家、ゲレロ・ファミリーの四男。早くから空中戦を得意とした天才レスラーとして知られ、1992年には新日本プロレスに参戦し、その後はメキシコマットに参戦、マスクマンとして活動するも、自ら正体を明かして以降は素顔で戦うというメキシコマット初の存在となった。(つづく)
2005年
【死去】ショパン猪狩【芸人】アラブ人の格好で笛を吹き、壺から蛇を出す芸、「レッドスネーク、カモン!」等の決め台詞で人気を博した「東京コミックショウ」のコメディアン。中の蛇の役は妻の千重子や、娘が務めていたという。1993年に現役を退いており、2005年に心不全で死亡。没年76歳。
2007年
【死去】稲尾和久【プロ野球選手・プロ野球監督・野球評論家】プロ野球史上最多タイ記録のシーズン42勝、前人未踏の3年連続シーズン30勝以上、連続30試合勝利、史上最短での通算200勝等々という凄まじい記録を残した西鉄ライオンズの大投手。通算276勝。1958年の巨人との日本シリーズ全7戦のうち6試合に登板、5試合の先発で4完投、第3戦以降は5連投であり、リリーフ登板した第5戦では自らサヨナラホーマーを放つなど、"神様、仏様、稲尾様"という伝説的な活躍をみせた。()
2007年
【死去】稲尾和久【プロ野球選手・プロ野球監督・野球評論家】(つづきから)入団以来の酷使もあって、実質8年で肩を壊して、怪我からの復帰後は以前のような活躍を見せることは叶わなかった。引退後は西鉄、そしてロッテオリオンズで監督に就任、ロッテ時代は落合博満、村田兆治等の名選手に慕われる指導者であった。2007年10月30日に手足の痺れを感じ入院したが原因は不明のまま、11月13日に悪性腫瘍で死去。没年70歳。死後、稲尾の着けた背番号24は西武ライオンズの永久欠番とされた。