『1946年の野坂参三』

1997年11月14日は、日本共産党の第一書記を務めた政治家、野坂参三が死亡した日である。
戦後の日本共産党の創設者の一人であり、人生のほとんどを日本共産党名誉議長として送った人物でありながら、最晩年の1992年にソ連のスパイであったことが『週刊文春』の取材記事により発覚。
同じく共産党員の運動家である妻の野坂龍と共に1931年にソ連に入国し、外国人向けの秘密訓練を受けてソ連のスパイとなっていたといわれている。コミンテルンのディミトロフに送った手紙の中で明らかになり、ソ連の内務人民委員部(NKVD)に同志の山本懸蔵を政敵であるとでっちあげ、スターリンによる粛正の犠牲にしていたことなどが判明した。
この時、野坂は100歳で、除名処分が行なわれた。
野坂も概ねその情報を認めたが、高齢のためもあり、コメントを出さないまま人生を終えた。

(写真はWikipedia Sanzo Nosaka より使用。Public Domain)

11月14日の不幸

1年
準備中
1282年
【死去】日蓮【僧侶】鎌倉時代に日蓮宗を確立したの仏教僧。「南無妙法蓮華経」の題目と共に全国を布教して回った。佐渡に流罪になったことも。池上宗仲の邸宅で死亡。60歳没。
1988年
【死去】三木武夫【政治家】明治大学法学部卒業直後に衆議院議員総選挙に無所属で出馬し当選。それ以降死ぬまで19回の選挙で当選し、51年間務め続けた政治家。運輸大臣、逓信大臣、科学技術庁長官、通商産業大臣、国務大臣等を歴任し、第66代内閣総理大臣まで務めた。1974年の総理大臣就任時は、前任の田中角栄が汚職事件で失脚したために、"クリーン三木"として自民党から擁立されたが、政治改革を急ぐあまり実力者から疎まれ、たった2年の短命政権に終わった。1986年に脳出血で倒れ、その療養中に急性心不全で死去。没年81歳。
1991年
【エイズ】トニー・リチャードソン(Tony Richardson)【映画監督】1963年の映画『トム・ジョーンズの華麗な冒険』でアカデミー監督賞を受賞したイギリスの映画監督。女優のヴァネッサ・レッドグレイヴと結婚し2児を設けたが、映画『マドモアゼル』の撮影時にジャンヌ・モローと不倫関係になり、前妻とは離婚。ジャンヌ・モローに看取られるようにしてエイズの合併症で死亡した。没年63歳。バイセクシュアルであったが、生前それを明かすことはなかった。
1993年
【死去】野坂参三【政治家・諜報員】戦後の日本共産党の創設者の一人であり、第一書記を務めた政治家。参議院議員、衆議院議員。人生のほとんどを日本共産党名誉議長として送った人物でありながら、最晩年の1992年にソ連のスパイであったことが『週刊文春』の取材記事により発覚し、100歳で除名処分が行なわれた。野坂も概ねその情報を認めたが、高齢のためもあり、コメントを出さないまま人生を終えた。老衰で101歳没。
2000年
【急死】東野英心【俳優】子供向けドラマ『あばれはっちゃく』の主役少年のカミナリ親父役と、その時の決め台詞「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」で人気を博した俳優。同じく俳優である東野英治郎の息子でもある。2000年11月13日に外食中のレストランで倒れ、そのまま翌14日に高血圧性能出血で死亡。没年58歳。
2009年
【火災事故】「釜山射撃場火災」韓国釜山広域市の室内射撃場「ガナダラ実弾射撃場」で火災が発生。日本人観光客10人を含む15人が死亡。当時の韓国李明博大統領から日本の鳩山由紀夫首相に遺憾の手紙が送られた。現地警察は射撃の際に出た加薬に引火したと説明したが、捜査関係者からは「遺体の一部から銃弾が見つかった」という証言もあり、その真相は明らかになっていない。射撃場経営者と現場責任者が逮捕され、裁判の結果禁固3年の実刑が確定した。
2014年
【死去】ニック・ボックウィンクル(Nick Bockwinkel)【プロレスラー/アメリカ】(つづきから)日本プロレス、国際プロレス、全日本プロレスと日本マット界でも長年にわたり活躍。晩年はWWEでも活躍し引退後は殿堂入りしている。痴呆と心臓病で80歳没。
2015年
【死去】ニック・ボックウィンクル(Nick Bockwinkel)【プロレスラー/アメリカ】「相手がワルツを踊ればワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る」という名言で知られる技能派レスラー。悪役レスラーだった父のウォーレン・ボックウィンクルの後を追い、15歳の時のルー・テーズ戦でプロレスデビュー。陸軍、大学と掛け持ちをしながらキャリアを続け、28歳で専念。父と同じくヒールとしてAWAで活躍し、一時は世界チャンピオンを獲得した。(つづく)
2015年
【急死】阿藤快【俳優】劇団「俳優座」出身の俳優。独特のルックスで主に悪役として活動していたが田原俊彦主演のヒットドラマ『教師びんびん物語』に出演し人気を獲得。以来、俳優活動に加えてそのおおらかな人柄を活かしたリポーターとして開花。グルメ番組や、『ぶらり途中下車の旅』等で活躍した。2015年11月15日に仕事の現場に来ず、事務所スタッフが自宅に向かうとベッドで死亡していた。死因は胸部大動脈瘤破裂。前日の69歳の誕生日に死亡していたとみられる。ちなみに、元々の芸名である阿藤海から阿藤快に改名したのも2001年