『ヨゼフ・シュミットのポートレート』
1942年11月16日は、20世紀初頭のドイツで活躍したユダヤ人テノール歌手の大スター、ヨゼフ・シュミットが死亡した日である。
ラジオで全国的人気を博したシュミットは、映画界に進出、1933年の『歌は世界を駆けめぐる』では、自ら歌った同名の主題歌と共に記録的なヒットを飛ばした。
しかし、ナチス・ドイツが政権を握ると、ドイツ内での活動は不可能になり、出身地であるウィーンに戻ったが、ドイツのオーストラリア合併によりフランスへ逃れ、そこにまでドイツの脅威が及ぶと出国許可も下りなくなったためにスイスに密入国。しかしスイス政府からは正式な亡命とは認められずに収容所に抑留され、解放後すぐに咽頭炎で死亡した。
体調不良を訴えて病院に行ったが、検査もせず追い出し、心不全でそのまま息を引き取った。
ドイツ語圏で広く活躍したスーパースターであったのが、たった数カ月でこの扱い。
シュミットの死亡診断書には「無国籍」と記されていたという。

(画像はPublic Domain)

11月16日の不幸

1942年
【早世】ヨーゼフ・シュミット(Joseph Schmidt)【テノール歌手/オーストリア】

20世紀初頭のドイツで活躍したユダヤ人テノール歌手の大スター。ラジオで全国的人気を博し映画界に進出、1933年の『歌は世界を駆けめぐる』では、自ら歌った同名の主題歌と共に記録的なヒットを飛ばした。しかし、ナチス・ドイツが政権を握ると、ドイツ内での活動は不可能になり、オーストリア、フランスを経由しスイスに密入国。しかしスイス政府からは正式な亡命とは認められずに収容所に抑留され、解放後すぐに咽頭炎で死亡した。没年38歳。

1971年
【薬物過剰摂取】イーディ・セジウィック(Edie Sedgwick)【女優・ファッションモデル/アメリカ】(つづきから)。精神病院で出会った夫と結婚したが、最後までドラッグを絶てずに薬物過剰摂取で死亡した。没年28歳。
1971年
【薬物過剰摂取】イーディ・セジウィック(Edie Sedgwick)【女優・ファッションモデル/アメリカ】拒食症、精神科入院、兄の自殺など、激動の10代を送ったファッション・モデル。ニューヨークで活躍中の1965年に時代を牽引したアーティスト、アンディ・ウォーホールと出会い、その作品のアイコンとして映画に出演。その後ボブ・ディランとの交際・破局、ウォーホールとの別離等、スキャンダルの渦中でドラッグに耽溺しカリフォルニアの実家に帰還。(つづく)