『1908年5月のトルストイ』(Sergey Prokudin-Gorskyによって撮影されたロシアで最初のカラーのポートレイト写真)

1910年11月20日は、19世紀のロシアを代表する小説家、レフ・トルストイが死亡した日である。
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』等の作品でロシア国内でなく全世界に影響を与えた小説家であり、思想家でもあったトルストイは、由緒正しい貴族家の4男として生まれたが、世界的な名声を獲得した頃には人生の無意味さに悩み、自殺を考えるようになった。その苦悩の末に、トルストイは質素な暮らし方にこそ真実を見出し、原始的なキリスト教競技の実践も含めた独自の思想に辿り着き、反貴族、反権力、反政府的な運動「トルストイ運動」を始める。
そして82歳で死を迎える前日、長年争いの絶えなかった妻との別れを遂に決意、真冬の夜中に家をひっそりと抜け出た。
そして電車に乗ると、その車中で対面する乗客に自らの教義を説き続け、そのままアスターポヴォ駅で死亡したのだった。
世界的な影響力を持つに至った大作家であっても、いまだ伝えることのできないことに苦しみぬいての死であった。

(写真はWikipedia Leo Tolstoyより使用。Public Domain)

11月20日の不幸

1年
準備中
1883年
【死去】天璋院/篤姫【江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所】薩摩藩島津家から徳川第13代将軍家定の正室に。しかし結婚後1年9カ月で家定が急死すると、出家して天璋院を名乗り、故郷からの帰還要請を断って大奥で権勢をふるった。明治維新後も江戸に残り、徳川家の人間として振る舞い、将軍の教育係として活動した。1883年11月13日に脳溢血で倒れ、そのまま18日に死去。没年47歳。
1910年
【死去】レフ・トルストイ(Leo Tolstoy)【小説家/ロシア】『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『イワンの馬鹿』『復活』等の作品でロシア国内でなく全世界に影響を与えた小説家であり、思想家。貴族階級出身ながら、世界的な名声を獲得した頃には人生の無意味さに悩み、その苦悩の末に、質素な暮らし方にこそ真実を見出し、原始的なキリスト教競技の実践も含めた独自の思想に辿り着き、反貴族、反権力、反政府的な運動「トルストイ運動」を始める。(つづく)
1910年
【死去】レフ・トルストイ(Leo Tolstoy)【小説家/ロシア】(つづきから)そして死を迎える前日、長年争いの絶えなかった妻との別れを遂に決意、真冬の夜中に家をひっそりと抜け出た。そして電車に乗ると、その車中で対面する乗客に自らの教義を説き続け、そのままアスターポヴォ駅(現レフ・トルストイ駅)で肺炎のために死亡。没年82歳。葬儀には1万人以上の参列者が集ったが、故郷の小さな街であるヤースナヤ・ポリャーナの近隣住民の大半は、トルストイが誰であるかわからなかったという。
1949年
【死去】若槻禮次郎【政治家】大蔵官僚から転身し、第25、第28代内閣総理大臣を務めた政治家。憲政会、その後の立憲民政党で活躍した貴族院議員で、総理大臣の他大蔵大臣、内務大臣、拓務大臣などの要職を歴任した。2度目の政権は満州事変による軍部の強化で総理退任したが、その後は穏健派の政治家として第二次大戦後期の東條英機内閣の失墜、ポツダム宣言受諾と終戦に大きく関与した。狭心症により静岡県伊東の別荘で死去。没年83歳。
1975年
【死去】フランシスコ・フランコ(Francisco Franco y Bahamonde)【軍人・政治家/スペイン】1936年からのスペイン内戦で反乱軍の指導者として頭角を現わし、総統にまで登り詰め、やがてスペイン全土を統一。彼が組織したファランヘ党の一党独裁政権を確立し、第二次大戦後も独裁者として権勢をふるった。晩年は王政の復活に力を注ぎ、自らの息子に全権を継がせるという案も浮上したが、前国王の息子であるフアン・カルロスを未来の国王に据えることを決定し死亡。(つづく)
1975年
【死去】フランシスコ・フランコ(Francisco Franco y Bahamonde)【軍人・政治家/スペイン】(つづきから)
2006年
【死去】ロバート・アルトマン(Robert Altman)【映画監督/アメリカ】(つづきから)本国アメリカのアカデミー賞監督賞、作品賞を受賞することはなかった。晩年は心臓移植を受けながらの生活であったが、白血病で81歳没。
2006年
【死去】ロバート・アルトマン(Robert Altman)【映画監督/アメリカ】CM制作の傍ら映画のキャリアを開始。1962年から人気テレビシリーズ『コンバット!』の演出を務め、1970年の映画『M★A★S★H マッシュ』で第23回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞。1976年に『ビッグ・アメリカン』でベルリン国際映画祭金熊賞、1993年の『ショート・カッツ』で第50回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞と、世界三大映画祭で最高賞を受賞した3人目の監督となったが、(つづく)
2007年
【死去】三沢郷【作曲家】コーラス・グループ『フォー・コインズ』で歌手デビューしたが、解散後に作曲家に転向。代表曲『月光仮面』『エースをねらえ!』『デビルマンの歌』『サインはV』『ジャングル黒べえの歌』などのテレビドラマ、アニメーションの主題歌等で名作を数多く遺した。1976年からはアメリカ合衆国に移住し音楽活動を続けた。カリフォルニア州パームスプリングスの病院で死去。79歳没。
2011年
【死去】成田豊【実業家】東京大学法学部から1953年に電通に入社。 1993年に第9代代表取締役社長に就任して以降、会長を退いた2007年まで、電通グループのトップとして活動した。肺炎で82歳没。
2013年
【死去】神楽坂浮子【芸者歌手】昭和初期に活躍した芸者歌手・神楽坂はん子に憧れて高校を中退し芸者に。その後古賀政男門下に入り、芸者歌手としてデビュー。1956年の『十九の春』が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に2度出場している。千葉県松戸市の病院で心不全により死亡。75歳没。