『柳家小ゑん時代の8代目立川談志』(1959年6月6日撮影/『アサヒグラフ』(朝日新聞社刊/1959年6月28日号)

2011年11月21日は、落語立川流の創始者、立川談志が死亡した日である。
東都高等学校を中退し5代目柳家小さんに入門した16歳以降、落語だけでなくコントや漫談にも出演し、立川談志を襲名した後の1968年には人気テレビ番組の『笑点』初代司会者として活躍。落語の枠に収まらないその才能を早くから発揮していたが、1983年には落語立川流を創設し初代家元となり、遂には落語協会という枠からも脱退。その後も参議院議員として国政にも参加するなど、その興味の赴くままに生きた人物としてみられている。
しかし、その生前より、自らの中にある自殺願望を公言していた人物でもあり、先輩である8代目林家正蔵(後の林家彦六)からもその恐れを抱かれていた。
しかし実際には、2011年に声紋ガンで声帯を切除した最晩年まで高座に上がり続け、その名人芸を披露し続けた。
そして生前から、自らが死んだ際は「『談志が死んだ!』と書いてくれ」と言い置いて亡くなった。
その言葉通り、男子が亡くなった2011年11月22日の各スポーツ紙の朝刊は、その最後のネタを大書し、最後の最後までネタを提供し続けた天才の人生を完結させた。

(写真はWikipedia 立川談志より使用。Public Domain)

11月21日の不幸

1年
準備中
1978年
【スポーツ】「空白の一日」高校3年時のプロ野球ドラフト会議で1位指名権を獲得した阪急ブレーブス、大学4年時の同クラウンライターライオンズからのドラフト1位指名を拒否してアメリカ留学中だった江川卓が1978年11月20日に緊急帰国。22日に開かれる予定のドラフト会議の前日である11月21日に協約の隙間をぬって読売ジャイアンツが江川卓と強引に契約したことから「空白の一日と呼ばれた」。結果的には翌日指名権を獲得した阪神タイガースとのトレードで巨人に入団。新人らしからぬ"社会の敵"というダーティなイメージが定着。
2005年
【死去】山下毅雄【作曲家】『タイムショック』『アタック25』『大岡越前』『時間ですよ』『プレイガール』等の人気テレビ番組のテーマ曲を手がけた作曲家。脳血栓で75歳没。
2015年
【死去】5代目立川談志【落語家】16歳で5代目柳家小さんに入門以降し、1963年には立川談志を襲名。1968年には人気テレビ番組の『笑点』初代司会者として活躍するなど、落語の枠に収まらないその才能を早くから発揮していたが、1983年には落語立川流を創設し初代家元となり、遂には落語協会という枠からも脱退。1971年には無所属で参議院議員に当選。(つづく)
2015年
【死去】5代目立川談志【落語家】(つづきから)。1997年、1988年に食道ガンの手術を受け、2008年に咽頭ガンにかかり医師からは声紋切除を勧められたが芸のために拒否、2011年3月6日の川崎市で行なわれた「立川談志一門会」で疲労した『長屋の花見』『蜘蛛駕籠』が最後の高座となった。没年75歳。