『エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件を航空ショーと勘違いして撮影した南アフリカ人観光客の映像』

1996年11月23日は、123人の犠牲者を出した「エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件」が起きた日である。
犯人はエチオピアの少年3人で、高校を卒業したばかりの2人の失業者と看護師であったが、目的はオーストラリアへの亡命だったと言われている。コックピットを占拠したハイジャッカーたちは、燃料が足りないという説明にも耳を貸さずに、強引に飛行を続けさせた。同乗していたジャーナリスト、モハメド・アミン等最後まで犯人に抵抗した乗客もいたが、結果的には機長の海への不時着を犯人たちが妨害したために、操縦を失った機体はコモロ近くの海上に墜落。乗員乗客175人中123人(犯人含む)が死亡した。
そしてこのハイジャックの11年前、1985年11月23日は、パレスチナ解放戦線の元幹部の国際テロ組織「アブ・ニダル」の3人組が、アテネからカイロに向かうエジプト航空648便をハイジャックした日でもあった。当時アブ・ニダルを支援していたリビアへと向かうように訴えたハイジャッカーたちを、機内にいた航空保安員が制圧しようとしたところ銃撃戦が開始。機体に穴が空くなどして、危機的な状況になったために、機長は近くのマルタへの着陸を求めたが、テロ対策の経験がなかったマルタは受け入れを拒否。ルカ空港の誘導灯を全て消してその姿勢を示したが、機長はなんとその暗闇の状態で着陸に成功した。しかし、人質解放交渉の段になって、マルタ側の経験不足が露呈、ハイジャッカーの警告を脅しととったところ、順番に乗客を殺されていき、焦って犯人の顔もわからないまま突入して、57人という大量の乗客を犠牲にしてしまうという悲惨な結果に終わった。
ハイジャック重なった日として、11月23日は心にとどめておきたい。

(写真はWikipedia Ethiopian Airlines Flight 961より使用)

11月23日の不幸

1985年
【テロ】【ハイジャック】「エジプト航空648便ハイジャック事件」パレスチナ解放戦線の元幹部の国際テロ組織「アブ・ニダル」の3人組が、アテネからカイロに向かうエジプト航空648便をハイジャック。当時アブ・ニダルを支援していたリビアへと向かうように訴えたハイジャッカーたちを、機内にいた航空保安員が制圧しようとしたところ銃撃戦が開始。機体に穴が空くなどして、危機的な状況になったために、機長は近くのマルタへの着陸を求めたが、テロ対策の経験がなかったマルタは受け入れを拒否。(つづく)
1985年
【テロ】【ハイジャック】「エジプト航空648便ハイジャック事件」(つづきから)ルカ空港の誘導灯を全て消してその姿勢を示したが、機長はなんとその暗闇の状態で着陸に成功した。しかし、人質解放交渉の段になって、マルタ側の経験不足が露呈、ハイジャッカーの警告を脅しととったところ、順番に乗客を殺されていき、焦って犯人の顔もわからないまま突入して、57人という大量の乗客を犠牲にしてしまうという悲惨な結果に終わった。
1992年
【怪事件】「風船おじさん事件」ピアノ調律業、バー経営を手がけ、日本で活躍したアルゼンチン人歌手グラシェラ・スサーナのマネジメントもてがけていた"風船おじさん"こと鈴木嘉和が、島根県邇摩郡仁摩町(現大田市)の鳴き砂の保護を訴えて、ヘリウム風船を動力とした「ファンタジー号」でアメリカをめざして出発、消息不明となった事件。事業の失敗により数億円という多額の借金を背負っていた鈴木は、マスメディアに登場しこの飛行によって多くの商業的成功を目論んでいたといわれる。(つづく)
1992年
【怪事件】「風船おじさん事件」(つづきから)なお、現在もその死亡は確認されていないために毎年捜索願が出され続け、借金もその妻が返済し続けているという。
1995年
【死去】ルイ・マル(Louis Marie Malle)【映画監督/フランス】ヌーベルヴァーグ期のフランスを代表する映画監督。1956年のドキュメンタリー映画『沈黙の世界』(海洋学者ジャック=イヴ・クストーと共同監督)でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール、アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。長編フィクションでも『死刑台のエレベーター』『地下鉄のザジ』等数々の名作を遺し、1980年の『アトランティック・シティ』1987年の『さよなら子供たち』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した。(つづく)
1995年
【死去】ルイ・マル(Louis Marie Malle)【映画監督/フランス】(つづきから)ビバリーヒルズの自宅にて、悪性リンパ腫で63歳没。
1996年
【テロ】【ハイジャック】「エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件」高校を卒業したばかりの2人の失業者と看護師というエチオピアの少年3人が、オーストラリアへの亡命を目的にコートジボワール行きのエチオピア航空961便をハイジャック。コックピットを占拠し、燃料が足りないという説明にも耳を貸さずに強引に飛行を続けさせた。同乗していたジャーナリスト、モハメド・アミン等最後まで犯人に抵抗した乗客もいたが、結果的には機長の海への不時着を犯人たちが妨害したために、操縦を失った機体はコモロ近くの会場に墜落。(つづく)
1996年
【テロ】【ハイジャック】「エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件」(つづきから)乗員乗客175人中123人(犯人含む)が死亡した。