『20歳頃に描かれたマルキ・ド・サド唯一の肖像画』画=チャールズ・アメデル・フィリップ・ファン・ルー

1814年12月2日は、18世紀〜19世紀のフランスで活動した小説家のマルキ・ド・サドの死亡した日である。
フランス革命期の貴族の家柄に生まれたマルキは、物乞いの未亡人への暴行や、娼館での乱交、肛門性交の罪で1778年に収監された。そしてその獄中で、当時のヨーロッパ世界の絶対的な規範とされていたキリスト教を蹂躙するかのような超個人主義的、超背徳主義的な自由すぎる作品群を執筆、彼の死からしばらくは危険思想として禁書扱いになっていた。しかし、世界が個人主義的に変貌した20世紀以降は様々な知識人に再評価され、また、日本ではその著書の翻訳が『悪徳の栄え事件』なる事件にもなった。元はといえばその性的興奮、嗜虐性をコントロールできずに収監された人物ではあるものの、人間の本質を暴いたという意味では周囲の数百年先をゆく感覚の持ち主であったことは否めない。38歳での最初の収監以来、その人生のほとんどを刑務所、精神病棟で過ごすことになった貴族は、その身の不自由さと引き替えに人類の真実に関する探求に、大いに貢献した存在であるとはいえるだろう。

(写真はWikipedia Marquis de Sadeより使用。Public Domain)

12月2日の不幸

1814年
【死去】マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)【小説家・貴族/フランス】

18世紀〜19世紀のフランスで活動した小説家。フランス革命期の貴族の家柄に生まれ、暴行や、乱交、肛門性交等の罪で1778年に収監され、その獄中で、当時のヨーロッパ世界の絶対的な規範とされていたキリスト教を蹂躙するかのような超個人主義的、超背徳主義的な自由すぎる作品群を執筆。代表作に『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』『閨房哲学』等。しかし、38歳での収監以来、その人生のほとんどを刑務所、精神病棟で過ごすことになった。1801年に後の皇帝であるナポレオンから匿名で出版していた『美徳の不幸』『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』の作者を投獄すうように申し渡され、収監。その後1803年に精神病院に移送され、そのまま1814年12月2日に死亡した。没年74歳。晩年の最後の4年間は当時14歳の少女と交際していた。また、死の直前に遺した遺言はほとんど守られず、未発表の遺稿も息子により全て破棄された。

1944年
【戦死】沢村栄治【プロ野球選手】

京都商業学校(京都学園高等学校)時代から目覚ましい活躍を見せ、18歳で中退し日米野球の全日本チームに加わった伝説的な大投手。右のオーバーハンドの豪快なフォームからの快速球で、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックなども参加し圧倒的な実力差をみせたメジャーリーグ選抜チームに対し、たったひとり伝説的な投球を披露し押さえ込んだ。1936年から開始された日本プロ野球に東京巨人軍の選手と参加し、同年に史上初のノーヒットノーランを記録するなど、同チームの優勝に貢献し黎明期のプロ野球を象徴するスター選手となったが、1938年に日中戦争のために徴兵され兵役に就いた。その時の手榴弾投擲により肩を痛め、1940年の帰国後はサイドスローの技巧派に転向。それでも活躍を続けたが、1944年に巨人軍から解雇され現役を引退。プロ野球通算63勝22敗防御率1.74。その後3度目の兵役生活で第二次世界大戦のフィリピン戦線に向かったところ、屋久島沖の東シナ海でアメリカ海軍の潜水艦・シーデビルにより撃沈され戦死。27歳没。巨人軍はその死後の1947年に沢村の功績を称え「14」の背番号を日本プロ野球史上初の永久欠番とした。また、同年より「沢村栄治賞(沢村賞)」が設けられ、日本プロ野球の最優秀投手に贈られ続けている。

1990年
【死去】浜口庫之助【ミュージシャン・作詞家・作曲家】

終戦直後よりバンドを結成し活躍したミュージシャン。「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」では1953年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場するほどの人気を獲得した。1959年に他人への提供曲『黄色いさくらんぼ』『僕は泣いちっち』が爆発的なヒットを記録し、作詞・作曲家としての活動に転向。1960年代以降は『涙くんさよなら』『愛して愛して愛しちゃったのよ』『星のフラメンコ』『バラが咲いた』『夕陽が泣いている』『夜霧よ今夜も有難う』『空に太陽がある限り』等、それぞれの歌手にとって代名詞となるようなヒット曲を提供し続け、昭和を代表するヒットメーカーとして日本の歌謡界を牽引した。最晩年の1987年にも『人生いろいろ』の作曲で、大ヒットを記録。生涯にわたりヒット曲を提供し続けた。私生活では1963年に妻の邦子と死別したが、1973年には女優の渚まゆみと再婚。生涯連れ添った。1990年12月2日に喉頭ガンで73歳没。

1993年
【射殺】パブロ・エスコバル(Pablo Emilio Escobar Gaviria)【犯罪組織最高幹部/コロンビア】

コロンビア最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」の設立者であり、アメリカ他世界中にコカインを輸出し"Colombian drug lord (コロンビアの麻薬王)"の名をほしいままに巨万の富を築いた人物。その影響力は犯罪者の範疇に収まらないもので、政治家の暗殺や敵対勢力へのテロ行為はもちろん、アビアンカ航空機203便の爆破や、コロンビアの名門サッカークラブ、アトレチコ・ナシオナルのオーナーを務めていたこともあった。1991年に収監された際も「ラ・カテドラル」と呼ばれた特殊な優遇施設で生活し、外での生活と同等かそれ以上の環境で暮らし、所内での2件の殺人事件を関与した。1992年7月22日に堂々と歩いて脱獄すると、再びカルテルに戻った。1993年12月2日、コロンビア治安部隊が、息子との通話から隠れ家を突き止め、屋根の上に逃げたエスコバルを射殺した。没年44歳。

1994年
【殺人未遂】「オウム真理教VXガス襲撃事件」

麻原彰晃の指示を受けたオウム真理教信者、山形明と新実智光が、オウムから逃亡した元信者を匿っていた東京都中野区の駐車場経営者をVXガスで襲撃。経営者はその場でけいれんを起こし入院したが、一命はとりとめた。しかし1995年の強制捜査までこの事件がオウム真理教によるものとは発覚していなかった。この時の反省を活かし、同教団は12月12日に会社員をVXガスで殺害する。

2012年
【交通事故】【高速道路事故】『笹子トンネル天井板落下事故』

山梨県大月市笹子町にある中央自動車道上り線の笹子トンネルで、コンクリート製の天井板が約130メートルの区間で落下。走行中の自動車に乗っていた9人が巻き込まれて死亡した。現在のところ日本の高速道路史上最大の死亡事故となった。事故の原因は点検を怠ったこととトンネル設備の老朽化といわれている。