『エルミア・デ・ホーリー作「アメデオ・モディリアーニ風の女性の肖像画」』

1976年12月11日は、世紀の贋作画家として知られる画家のエルミア・デ・ホーリーが自殺していた日である。
自らの作品で知られることの無かったハンガリー出身のデ・ホーリーは、ピカソ、モディリアーニ、マティス、ルノワール等の有名画家の贋作を長期にわたり制作していたが、第二次大戦中にスパイ疑惑やユダヤ人虐待で収監され脱獄するなど、生涯にわたり安定的な生活を送ることはなかった。また、同性愛者としても迫害され、メキシコ、スペインでは贋作の疑惑から同棲愛の容疑で収監されている。
金銭的にもジャック・チェンバレン、フェルナン・ルグロらの画商に多くを奪われていたため、贋作作家でありながら商業的に成功したとは言い難い人生であった。晩年、その人生がオーソン・ウェルズ監督の映画『Fake』(1973年)で世界的知名度を獲得したが、1976年12月11日、自宅にて服毒自殺死しているところを発見された。死後、デ・ホーリーのの天才的な技術は再評価され、世界各国で多くの個展が開催されている。果たして、その技術が偽物であったといえるかは、評価の分かれるところであるが、その数奇な人生は、紛れもない独創性に彩られている。

(写真はGustavusより使用)

12月11日の不幸

1964年
【射殺】サム・クック(Samuel Cooke)【歌手・シンガーソングライター/アメリカ合衆国】

ソウルミュージックというジャンルの確立に多大な貢献を果たした歌手。19歳で「ソウル・スターラーズ」のリードボーカルとしてデビュー。ゴスペルのアイドル的人気を獲得し、1957年にソロデビュー。『You Send Me』が「ユー・センド・ミー」がアメリカのビルボード100とR&Bシングルチャートで1位を獲得し、世界的な人気アーティストとなった。その後も『A Change Is Gonna Come』『Twistin' the Night Away』『Bring It On Home to Me』等多くのヒット曲をリリースし続けたが、1964年12月11日にハリウッドのモーテルのフロントで射殺され死亡。没年33歳。泥酔状態でナンパした女性とチェックインしたが、女性が身の危険を感じて逃亡。シャワーから上がったクックが半裸でフロントに出たところの悲劇であった。射殺した女性は正当防衛と見なされ罪に問われなかったが、いまだ疑問の残る最後であった。

1976年
【自殺】エルミア・デ・ホーリー(Elmyr de Hory)【贋作画家/ハンガリー】

ピカソ、モディリアーニ、マティス、ルノワール等の有名画家の贋作を長期にわたり制作していた世紀の贋作画家。第二次大戦中にスパイ疑惑やユダヤ人虐待で収監され脱獄するなど、生涯にわたり安定的な生活を送ることはなかった。また、同性愛者としても迫害され、メキシコ、スペインでは贋作の疑惑から同棲愛の容疑で収監されている。金銭的にもジャック・チェンバレン、フェルナン・ルグロらの画商に多くを奪われていたため、贋作作家でありながら商業的に成功したとは言い難い人生であった。晩年、その人生がオーソン・ウェルズ監督の映画『Fake』(1973年)で世界的知名度を獲得したが、1976年12月11日、自宅にて服毒自殺死しているところを発見された。没年70歳。死後、デ・ホーリーのの天才的な技術は再評価され、世界各国で多くの個展が開催されている。

1994年
【死去】レオナルド熊【コメディアン・俳優】

現俳優の石倉三郎との「ラッキーパンチ」、ブッチー武者(後に石倉)との「コント・レオナルド」で人気を博した東京のコメディアン。荒廃した生活や性格難が原因で相棒がコロコロ変わるなど、安定的な活動はできず、最終的にはピン芸人、俳優として活動した。1994年10月に末期の膀胱ガンと診断され、同年12月11日に容態が急変し死亡。没年59歳。

2011年
【死去】ベティ・ペイジ(Bettie Mae Page)【モデル】

1950年代に『プレイボーイ』誌の最初期にプレイメイトとして活躍するなど、"ピンナップの女王"として人気を博したセクシーモデル。『Bizzare』誌というボンデージでのSM写真でも有名であったその活動はアンダーグラウンド的なものも多かったが、その人気は同時代に表舞台で活躍したマリリン・モンローと双璧を為し、時代の"セックス・アイコン"としてその後のファッションやカルチャーに絶大な影響を及ぼした。1960年頃から表舞台からは遠ざかり、1990年代に再びメディアへ露出してコメントを出し始めたものの、年齢を重ねてからの写真取材は断固として拒否した。2008年12月11日に肺炎が原因の心臓発作で意識不明の重体に。その後家族の意志により生命維持装置を外し死亡した。没年85歳。

2012年
【死去】ラヴィ・シャンカール(Ravi Shankar)【ミュージシャン/インド】

1960年代にザ・ビートルズのジョージ・ハリスンに指導したことで世界的な知名度を誇るシタール奏者。「モントレー・ポップ・フェスティバル」や「ウッドストック・フェスティバル」、そしてジョージとの「バングラディッシュ・コンサート」等、多くの大規模ロックフェスに参加したことでインド音楽に止まらない様々な影響力を持った。実子に同じくシタール奏者のアヌーシュカ・シャンカール、歌手のノラ・ジョーンズがいる。2012年12月6日に呼吸困難を起こし入院し、11日に心臓弁交換手術を受けた直後に死亡。没年92歳。