『柔道王・木村政彦との日本選手権に勝利直後の力道山』(1954年12月12日撮影)

1963年12月15日は、日本プロレスの父といわれるプロレスラーにして元大相撲関脇であった力道山が死亡した日である。
第二次世界大戦での敗戦に打ちひしがれていた国民に希望を与えるような白人レスラーを蹂躙するそのファイトスタイルで爆発的な人気を獲得していたプロレスラー、力道山。
“昭和の柔道王”こと木村政彦との世紀の決戦に於いても“第一戦は引き分け”という事前の取り決めを無視したセメント・マッチに出て木村をリンチ状態で勝利、名実ともに“昭和の格闘王”に君臨した。
しかし、その粗暴な性格からトラブルを招くことも多く、死因もまさにその荒すぎる気性が災いした結果であった。
1963年12月8日、赤坂のナイトクラブで酩酊していた力道山は、脇を通りかかった暴力団員・村田勝志に「足を踏んだ」と口論をふっかけ、馬乗りになって殴り続けたが、身の危険を感じた村田は懐に持っていたナイフで力道山の腹部を突き刺した。
病院に搬送され一時は一命をとりとめたに見えたが、入院7日目に腹膜炎からの腸閉塞と病状が悪化し、再手術の甲斐もなく死亡した。
その急死には諸説あり、「気管挿管の失敗という医療ミス」「腹膜炎に油断し寿司や酒を暴飲暴食」等の憶測が囁かれている。
生前の人となりから考えると後者の暴飲暴食というエピソードが妥当なところであろう。
元々は韓国人であった1942年、17歳で来日し、39歳で日本の英雄として死亡。
たった22年であったが、その最後の日まで、日本人に残した記憶は永遠に消えないほど強烈なものばかりであった。

(写真はWikipedia 力道山より使用。Public Domain)

12月15日の不幸

1年
準備中
1944年
【怪死】【航空事故】グレン・ミラー(Alton Glenn Miller)【ミュージシャン・作曲家・バンマス/アメリカ】(つづきから)味方からの誤射やパリでの腹上死など様々な説が囁かれているが、ミラーが乗った飛行機のUC-64特有の故障が原因との説が有力である。没年40歳。
1944年
【怪死】【航空事故】グレン・ミラー(Alton Glenn Miller)【ミュージシャン・作曲家・バンマス/アメリカ】『ムーンライト・セレナーデ』『茶色の小瓶』『イン・ザ・ムード』等のスタンダードナンバーを数多く発表したミュージシャンであり、現在も残るビッグバンド「グレン・ミラー・オーケストラ」の創設者。第二次大戦に際して陸軍航空軍に入隊し、世界各国を慰問楽団を率いて回っていたが、1944年12月15日にイギリスからフランスへ向かう際にイギリス海峡上で行方不明に。(つづく)
1963年
【急死】力道山(金信洛/Kim Sinrak)【プロレスラー・大相撲力士/朝鮮・日本】日本統治時代の朝鮮から来日し、二所ノ関部屋に入門。関脇にまで昇進したが突然廃業。その後プロレスラーに転向し、日本プロレスを旗揚げ、敗戦直後の日本で白人レスラーを蹂躙するそのファイトスタイルで爆発的な人気を獲得した。人気絶頂の1963年12月8日、暴力団員・村田勝志との口論の末ナイフで刺される。病院に搬送され一時は一命をとりとめたが、入院7日目に病状が悪化、再手術の甲斐もなく死亡した。死因は穿孔性化膿性腹膜炎。没年39歳。
1965年
【死去】ウォルト・ディズニー(Walt Disney)【実業家・映画監督・アニメーター/アメリカ】世界でも最も有名なアニメキャラクター「ミッキー・マウス」を作ったアニメーターであり、アメリカを始めフランス、日本、中国で展開する世界で最も有名なテーマパーク「ディズニーランド」の作り出した実業家。"夢の国"のイメージとは異なり、生前は喫煙と飲酒を激しく嗜好し、肺炎からのは胃ガンで死亡した。没年65歳。
2005年
【死去】仰木彬【プロ野球選手・監督】現役時代は西鉄ライオンズなどで活躍した内野手。引退後、日本きっての名将であった三原脩の元でコーチを務めるなど薫陶を受けて監督の道に。1989年に近鉄の監督に就任して以降、"仰木マジック"と呼ばれる千変万化の傭兵で近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブをリーグ屈指の強豪に育て上げた。イチローを見出した人物としても知られ、共に戦ったオリックス時代の1996年に自身初の日本一に。生粋の遊び人として知られ、自己管理を選手に任せる方針で選手からの信望を集めた。(つづく)
2005年
【死去】仰木彬【プロ野球選手・監督】(つづきから)最晩年も二球団が統合したオリックス・バファローズの監督に就任したが、体調悪化で1年で勇退、シーズン終了後にシニアアドバイザーに就任したが、その2カ月後に肺ガンによる呼吸不全で死亡した。没年70歳。
2007年
【死去】島野育夫【プロ野球選手・監督】現役選手時代は中日ドラゴンズ、南海ホークス、阪神タイガースの三球団を渡り歩いた外野手として活躍。引退後は指導者に転身し、主に監督・星野仙一を補佐する名参謀として中日・阪神でコーチを務めた。2006年からは阪神の二軍監督に就任したが、翌年辞任し、総合特命コーチに。シーズン終了後に胃ガンのため63歳没。
2007年
【急死】ハイアン・グレイシー(Ryan Gracie)【総合格闘家/ブラジル】ストリートファイトに明け暮れ、マフィアとの銃撃戦で被弾した経験を語るなどで悪名を馳せた、グレイシー一族一のケンカ柔術家。エリオの兄、カーロス・グレイシーの孫にあたる。日本マットでは主にPRIDEで活躍し、桜庭和志との対戦では敗北を喫している。2007年12月14日に車の強盗で逮捕。その翌日にサンパウロの拘置所内で死亡した。逮捕時にはドラッグの使用でショック状態だったといわれ、処方された薬が原因での医療ミスであった。没年33歳。