『1910年のウィリアム・ラーンド』

1926年12月16日は、現在も破られることのない大記録、全米選手権優勝7回を誇るアメリカの伝説的なテニスプレイヤー、ウィリアム・ラーンドがピストルで自殺した日である。
優勝こそなかったものの、早くから全英選手権に出場するなど世界的に活躍し、1900年に始まった団体戦「デビス・カップ」でもアメリカ・チームの主力として大活躍したが、1911年の大会でリウマチ熱の症状が出て敗退、直後に現役を引退した。
ちなみに、このリウマチ熱は1898年に始まった米西戦争に志願して参加した期間に羅漢したもので、引退後の1926年には脊髄膜炎を併発し体が硬直するほどのものに悪化していた。そして12月16日、遂にその悪化の病状に耐えきれず、マンハッタンにあるニッカボッカークラブの特別室において、ピストルで自らの頭を撃ち抜いたのであった。
引退した38歳まで全米オープンに優勝するほどの強靱な体とメンタリティを持ったアスリートの、それも引退後十数年での自殺だけに、ラーンドの死が世界に与えた衝撃は絶大であった。

(画像はWikipedia William Larnedより使用。Public Domain)

12月16日の不幸

1779年
【死去】後桃園天皇【第118代天皇】江戸時代に即位した第118代の天皇。元号は安永。病気がちで在位中に22歳で死去。在位期間は9年足らず。
1859年
【死去】ヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Carl Grimm)【童話編集者・言語学者/ドイツ】ドイツに古来より伝わるメルヘン(童話、空想的な寓話)を広く収集し19世紀に出版されるやいなや聖書と並ぶほどの世界的大ベストセラーとなった『グリム童話集』を編纂したグリム兄弟の弟(実際には5人兄弟の次男)。73歳で感染症のため死亡。
1926年
【自殺】ウィリアム・ラーンド(William Larned)【テニス選手/アメリカ】(つづきから)引退後の1926年には脊髄膜炎を併発し体が硬直するほどのものに悪化し、病状に耐えきれず、マンハッタンにあるニッカボッカークラブの特別室において、ピストルで自らの頭を撃ち抜いたのであった。没年53歳。
1926年
【自殺】ウィリアム・ラーンド(William Larned)【テニス選手/アメリカ】現在も破られることのない大記録、全米選手権優勝7回を誇るアメリカの伝説的なテニスプレイヤー。早くから全英選手権に出場するなど世界的に活躍し、1900年に始まった団体戦「デビス・カップ」でもアメリカ・チームの主力として大活躍したが、1911年の大会でリウマチ熱の症状が出て敗退、直後に現役を引退した。(つづく)
1945年
【死去】ジョヴァンニ・アニェッリ(シニア/Giovanni Agnelli)【実業家/イタリア】イタリア・トリノに本拠地を置く世界的自動車メーカー「フィアット」の創業者。第1次、第2次を通して大戦中のイタリアの軍需産業を支えた人物としても知られ、第2次世界大戦直後に79歳で死亡した。
1945年
【自殺】近衛文麿【政治家】日本の第34代、38代、39代の内閣総理大臣を務めた政治家。後陽成天皇の12世孫にあたり、貴族院議員、貴族院議長を務めたほか、司法大臣なども歴任した。3次内閣の折りにアメリカとの太平洋戦争を目前にして辞職、その後終戦工作をして敗戦後に副総理になるも、総理大臣時代の「支那事変」「三国同盟」「大東亜戦争」等の戦争責任をGHQに問われ、それらを「あくまでも軍部の責任」と言い逃れたが、A級戦犯として極東国際軍事裁判にかけられることが決定。(つづく)
1945年
【自殺】近衛文麿【政治家】(つづきから)巣鴨刑務所への出頭期限の1945年12月16日の未明、青酸カリで服毒自殺をした。没年54歳。日本の内閣総理大臣史上唯一の自殺者にして、最も若くして死亡した人物である。
1968年
【死去】双葉山定次【大相撲力士】(つづきから)また、引退直後に新興宗教「璽宇」にマインドコントロールされ、教祖の璽光尊とともに食糧管理法違反で逮捕される事件も。晩年は肝炎を患い、劇症肝炎で死亡。56歳没。
1968年
【死去】双葉山定次【大相撲力士】5場所連続全勝、69連勝なる不滅の大記録を誇る昭和初期に活躍した大相撲の第35代横綱。上手投げを得意とする稀代の怪力として知られ、幕内通算276勝68敗1分33休、勝率.820、優勝12回(うち全勝8回)というめざましい記録を残し、69連勝で止まった際の「いまだ木鶏たりえず」の言葉でも有名。引退後は時津風を襲名し、第3代日本相撲協会理事長なども務めた。(つづく)
1980年
【死去】カーネル・サンダース(Harland David Sanders)【実業家/アメリカ】自らのほぼ等身大の人形を店先に配置した世界的ファストフードチェーン「ケンタッキーフライドチキン」の創業者。様々な職を転々とした後にガソリンスタンドの経営に辿りつき、その一角で始めた「サンダース・カフェ」がその基礎となっている。フリーメーソン会員としても知られている。高齢になってからも精力的に活動していたが、肺炎のため90歳没。地元ケンタッキー・ルイビルの教会で行なわれた葬式には1,000人以上の参列者が集まった。
1993年
【死去】田中角栄【実業家・政治家】建築会社経営などの実業を経て国政に進出。衆議院議員として郵政大臣、大蔵大臣(3期)、通商産業大臣を歴任した後に、第64・65代内閣総理大臣を務めた。買収も辞さない豪腕で、インフラ整備と景気回復を掲げた「日本列島改造論」を掲げたが、国内外の政財界を巻き込んだ世界的な汚職事件「ロッキード事件」により逮捕。志半ばで失脚したものの、総理大臣退任後も無所属の議員として政界に影響を持ち続けた。ロッキード事件の刑事被告人のまま72歳の時に肺炎で死去。