『撮影現場での伊丹十三』

12月20日は、役者であり1980年〜1990年代の日本を代表する映画監督の伊丹十三が死亡した日である。
その最後は、東京・麻布にあった伊丹プロダクションの入居していたマンションの屋上からの転落死であったが、生前は、およそ自殺とは縁遠い人物像であったことからも話題を呼んだ“自殺事件”だった。
事務所にはワープロの印字で「身をもって潔白を証明します。何もなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」との遺書が遺されており、その理由を数カ月前の伊丹の浮気報道に求める向きが多かったが、周囲にはどうにも納得がいかないものであり、生前の友人らは一様に「浮気で死ぬような男じゃない」といったコメントが相次いだ。
伊丹の晩年は『ミンボーの女』(1992年)で暴力団、『マルタイの女』(1997年)で新興宗教と、世の中のタブー案件にメスを入れた過激な作品を手がけ始めた矢先の事件だっただけに、その自殺に関してはきな臭い噂は尽きない。
実際、『ミンボーの女』公開時には山口組系後藤組の構成員によって襲撃され、顔に全治3カ月もの傷を負っていたという前例もある。スキャンダラスな身の上のために身辺警備が付けられていた事実を考えても、この“自殺”に、他殺の可能性を考えることはごく自然な流れであろう。
ここまで自殺とはほど遠い生前の状況でありながら(死の五日前まで次回作のため熱烈な取材を行なっていたという情報も)、警察は現場である東京西麻布のマンションに争った形跡がないとして自殺と断定した。
その後の司法解剖で明らかになったのは、伊丹がアルコール度数の高い酒で酩酊状態であったことであるのだが、これを何者かによって酒を飲まされて意識を混濁させられ、屋上から投げ捨てられた他殺事件と結論づける向きも多い。
日本の裏社会を取材し続けたアメリカ人記者、ジェイク・エーデルスタインはその著書の中で、「伊丹が後藤組と創価学会の関係をテーマにした映画を企画しており、それに憤りを感じた後藤組組長・後藤忠政が5人の組員と共に伊丹の事務所に押し入り、銃を突きつけて屋上から飛び降りさせた」という証言を関係者から得たと記してもいる。
しかし、伊丹の死に関する真相は、これ以上明らかになることはないであろう。
映画監督になる以前は、俳優をはじめとしたあらゆる職業に就いたという人生経験を活かし、映画以外の分野でも独自の美学を披露していた伊丹十三。
しかし、肝心の最後の瞬間に世間に向けて表現できたのが「浮気の潔白をはらしたい」という陳腐に過ぎる自殺の物語であっただけに、途轍もない後悔とともに眠っていることは想像に難くない。

(写真はWikipedia Juzo Itamiより使用)

12月20日の不幸

1968年
【死去】ジョン・スタインベック(John Ernst Steinbeck)【小説家/アメリカ】ジェームズ・ディーンのヒット映画の原作である『エデンの東』の作者として知られ、1940年の問題作『怒りの葡萄』でピューリッツァー賞を受賞したアメリカを代表する小説家。1962年にはノーベル文学賞を受賞したが、晩年は貧しい生活を送っていたという。心臓発作で66歳没。
1997年
【怪死】伊丹十三【映画監督・俳優】役者から51歳で映画監督に転身し、妻であり女優の宮本信子を起用しながら『お葬式』『たんぽぽ』等ヒット作を連発。名実ともに1980年〜1990年代の日本を代表する映画監督となったが、1997年に東京・麻布にあった伊丹プロダクションの入居していたマンションの屋上から転落死。没年64歳。事務所にはワープロの印字で「身をもって潔白を証明します。何もなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」との遺書が遺されていた。(つづく)
1997年
【怪死】伊丹十三【映画監督・俳優】(つづきから)その遺書から数カ月前の伊丹の浮気報道に求める向きが多かったが、生前の友人らは一様に「浮気で死ぬような男じゃない」といったコメントが相次いだ。1992年には『ミンボーの女』公開に触発された暴力団後藤組の構成員に襲撃され全治3カ月の傷を追っていたこともあり、その自殺に関しては他殺の噂は尽きないが、警察は自殺と断定した。