『全日本選手権で鬼神のような強さを見せる力道山と敗れ去る“柔道王”木村政彦』

1954年12月22日は、『全日本選手権』として行なわれた、プロレスラー・力道山と“柔道王”木村政彦の試合で、木村が破れた日である。
天覧試合の勝利や全日本選手権13連覇を誇り、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」とまで言われた不敗の昭和の柔道王、木村政彦が敗れたこの事件は、当時既に柔道を引退していたとはいえ、社会的に絶大な影響を及ぼした。新しいジャンルであったプロレスとその象徴であった力道山は戦後復興の象徴にまで登りつめ、一方破れた木村は、柔道界からも微妙な距離をとられることになり、後に力道山への殺意を告白することになるような日陰の人生を歩むこととなった。その勝負の真相は、引き分けの事前密約を本番で破った力道山の
八百長破りという説が有力であるが、“強さ”の象徴であった木村が破れたことによる失墜は、木村の人生はおろか、死後数十年経った現在も回復したとは言い難い。勝負の世界の儚さと眩しさをまざまざと表現したこの木村の敗戦は、日本史上に残り続ける不幸であるといえるだろう。

(画像はWikipedia Rikidozanより使用。Public Domain)

12月22日の不幸

1880年
【死去】ジョージ・エリオット(George Eliot)【小説家/イギリス】

ヴィクトリア朝を代表する小説家の1人で、男性名のジョージ・エリオット名義で活動した人物(本名はメアリー・アン・エヴァンズ)。代表作に『Middlemarch』など。最初の夫が死んだ2年後に20再年下の男性と再婚したが、その年に61歳没。

1995年
【死去】川谷拓三【俳優】

付き人、斬られ役、大部屋俳優時代は"ピラニア軍団"の一員など、長きにわたる下積み時代を経て、任侠映画の人気脇役として花開いた俳優。映画『仁義なき戦い』シリーズでのチンピラ役等、味のある脇役を好演。また、15年放送された山城新伍とのテレビCM『どん兵衛』ではコミカルな子分役でお茶の間の人気を獲得した。1995年6月に体調を崩し入院。10月には京大付属病院に入院し、12月22日に肺ガンで死亡した。没年54歳。

2004年
【自殺】ダグ・オルト(Doug Ault)【プロ野球選手・指導者/アメリカ合衆国】

大学卒業後の1973年に地元テキサスのレンジャースに入団し、1976年にメジャー昇格。翌年はトロント・ブルージェイズに移籍したメジャー・リーガー。ポジションは一塁手、外野手。1981年にNPBの阪神タイガースに移籍し打率.307、18本塁打と順応をみせていたが、骨折が原因で1年での解雇となった。帰国後はブルージェイズの1Aチームで監督を務めるなどしたが、晩年はセールスマンに。2度の結婚をしたが、産婦人科医であった二人目の妻が破産をするなど、思うようにはいかない人生であったという。2004年12月22日にフロリダ州のターポンスプリングスの自宅で拳銃自殺。没年54歳。

2012年
【自殺】ライアン・ポール・フリール(Ryan Paul Freel)【プロ野球選手/アメリカ合衆国】

トロント・ブルージェイズ、タンパベイ・デビルレイズ、シンシナティ・レッズ、ボルチモア・オリオールズ、シカゴ・カブス、カンザスシティ・ロイヤルズと6球団を渡り歩き、最終的には独立リーグであるアトランティックリーグでもプレーしたメジャー・リーガー。俊足巧打に加え外野全ポジションに2塁、3塁と守れるユーティリティープレイヤーであったが、キャリア晩年は故障がちで大成はしなかった。メジャー通算打率.268、143盗塁。2010年の引退後は双極性障害に悩み、2012年に拳銃自殺。没年36歳。