『『七人の侍』の三船敏郎』

1997年12月24日は、世界的に活躍した日本の俳優、三船敏郎が死亡した日である。
いまだに世界的に根強い日本人男性のイメージ“サムライ”は、ほぼ三船ひとりが体現してできあがったものといっていいほどの絶大な影響力を誇る俳優である。
また、三船敏郎は、同じく世界中にファンを持つ映画監督・黒澤明が使い続けた俳優として知られているが、三船自身、最も自らの人格に近い役は、黒澤の代表作『七人の侍』無頼ときさくさを兼ね備えた菊千代だといい、脚本を読んだだけで自分の役がわかったというほどであった。
それほどまでにお互いを認め合った伝説的な関係であった黒澤と三船であったが、1962年に三船が自らの独立プロの経営者となって以降は、契約の問題もあり、共作する機会は減っていった。
そして、世界中の映画ファンが愛したその組み合わせは、それぞれが世界的知名度を獲得し終えた後半生では、観られなくなったのだった。
しかし1997年に三船に先立たれた黒澤は、その真骨頂である骨太なアクション時代劇を撮らなくなった理由を聞かれ、「三船ほどの役者がいないから」と答えたという。
三船敏郎という偉大な俳優の死は、黒澤明という映画監督の“ある大きな部分”の死でもあったのだろう。

(画像はウェブサイト『IMDb』より使用)

12月24日の不幸

1年
準備中
1865年
【秘密結社】「KKK設立」南北戦争直後の1865年12月24日に、南部連合の軍人であった、奴隷商人のネイサン・ベッドフォード・フォレストらによって白人至上主義の秘密結社「KKK(クー・クラックス・クラン)」テネシー州プラスキが設立された。実際のところはその以前にから別の人物によって存在していたといわれているが、KKK自体が公認しているのはこの日付である。
1887年
【芸能】「BOOWY解散発表」氷室京介、布袋寅泰らが1981年に結成し、後の"ビジュアル系"に繋がる派手なルックスで大人気を博したロックバンド「BOOWY」が、この日行なわれた渋谷公会堂でのライブで突然の解散宣言。翌年4月4日、5日の東京ドーム公園でその活動を終了した。当時人気絶頂であったために社会的な騒ぎを巻き起こした。解散の理由は布袋が当時の妻・山下久美子との活動に参加し、氷室以外のメンバーもそこに同調したことに端を発していると語られている。
1930年
【自殺】オスカル・ネドバル(Oskar Nedbal)【作曲家・指揮者/チェコスロバキア】「ボヘミア弦楽四重奏団」の創立メンバーヴィオラを担当賭して活躍後、「チェコ・フィルハーモニー管弦楽団」の首席指揮者、自ら創立した「ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団」の指揮者を務めたチェコを代表する音楽家。多額の債務を苦にし、ザグレブで飛び降り自殺をした。没年56歳。
1997年
【死去】三船敏郎【俳優】(つづきから)死後、当時のフランス大統領・シラクやアラン・ドロン、スピルバーグ等、多くの海外著名人から弔電が寄せられ、アカデミー殿堂にも選出されている。
1997年
【死去】三船敏郎【俳優】20世紀の日本を代表する映画監督、黒澤明の代表作『七人の侍』『用心棒』等の出演で世界的知名度を獲得した日本を代表する俳優。その荒々しいルックスと力強いアクションで、『レッド・サン』『SHOGUN』等多くの海外作品にも出演した。後半生は妻で元女優・吉峰幸子と別居状態で、実質の妻は喜多川美佳であったが、人生の最晩年は幸子夫人との生活に戻り、1995年に妻の死を看取り、その2年後に全機能不全で死亡した。没年77歳。(つづく)
2000年
【死去】ジョン・クーパー(John Newton Cooper)【実業家・技術者/イギリス】父であるチャールズ・ニュートン・クーパーとともに英国を代表する自動車メーカー「クーパー・カー・カンパニー」を設立した共同創設者。。同社を代表する世界的なベストセラー自家用車「ミニ・クーパー」や、F1、インディ500に代表されるモータースポーツのジャンルでも業績を伸ばし、クーパー社を世界的な自動車メーカーに牽引した。没年77歳。
2009年
【早世】志村正彦【ミュージシャン】ロックバンド「フジファブリック」のギター、ボーカルとして活動。2009年12月24日に死去。公式発表された死因は"病名不詳"。