『ジョンベネ・ラムジーのポートレート』

1996年12月26日は、アメリカの6歳の少女、ジョンベネ・ラムジーが身代金誘拐の末に遺体となって発見された日である。
優良企業のエグゼクティブの家庭に起きた事件であり、母親も元ミス・ウェストバージニアという美人、さらにジョンベネ自身が数々の美少女コンテストに優勝していたこともあり、全米の注目を集めた事件であった。最終的には自宅の地下室から遺体が発見され、暴行の痕跡もあったために、内部犯行説が有力な容疑となり、両親、実兄も含む多くの容疑者が捜査線に上がったとみられているが、2017年現在も犯人は断定されていない未解決事件である。現在も数々のスキャンダラスな事件報道を巡り遺族は係争と疑惑のまっただ中にあるが、果たしてその真相が明らかになる日は来るのか、ジョンベネの6歳という短すぎる命を大幅に上回る捜査期間は、既に20年を超えている。

(Wikipedia Death of JonBenét Ramseyより使用。fair use)

12月26日の不幸

1972年
【死去】ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)【政治家/アメリカ合衆国】

1945年4月12日に急死したフランクリン・ルーズベルトの後を受け、第33代アメリカ合衆国大統領に就任した人物。日本の降伏の動きを知りながら、そして国内に多くの反対意見があったにもかかわらず人類初の原爆投下を承認した大統領として有名であるが、その証拠は残っていない。終戦後は「フェアディール政策」と呼ばれる施政を敷き、1948年からは朝鮮戦争に参戦を決定した。1953年に大統領職を退任。1964年に自宅バスルームでの怪我で半身不随となり、1972年12月26日にミズーリ州カンザスシティで死亡。没年88歳。

1998年
【死去】白洲正子【随筆家】

いち早く西洋文化を取り入れた白州次郎の妻であり、自身も『能面』『かくれ里』等の作品で高い評価を獲得した随筆家。日本文化や美意識について多くの著述を残したことで知られ、14歳で女性として初めて能楽堂に上がった人物としても知られている。肺炎で88歳没。

1999年
【死亡】カーティス・メイフィールド(Curtis Lee Mayfield)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1958年に「インプレッションズ」として活動を開始し、『People Get Ready』の大ヒットで世界的人気を獲得したR&Bミュージシャン。1970年に同バンドを脱退して以降はソロで活動を開始、1972年の映画『スーパーフライ』のサウンドトラックアルバムでBillboard Hot 100の1位を獲得する等、ミュージシャンとして輝かしいキャリアを残した一方、プロデュース業でもビルボード1位を獲得した『Let's Do It Again』『He Don't Love You(Like I Love You)』等多くのヒット作をリリースした。1990年のライブ中に照明が落下し、下半身不随に。1998年には糖尿病の合併症で右脚を切断手術し、翌年死亡した。没年57歳。

2002年
【死去】ハーブ・リッツ(Herb Ritts)【写真家/アメリカ合衆国】

オリビア・ニュートン・ジョンの『PHYSICAL』のジャケット写真や、公私ともに友好関係にあったマドンナの『True Blue』のジャケットや『Cherish』のPVを手がけたことで知られるフォトグラファー。ファッションフォトグラファーとして『ヴォーグ』誌等でも活躍した。肺炎の合併症により50歳没。後にHIV陽性であったことが明かされたが、死亡時にその影響はなかったと発表された。

2003年
【死去】白井義男【プロボクサー】

1943年にプロボクサーとしてデビューし、GHQ職員の生物学者アルビン・R・カーンの指導の下、才能が開花。長い手足を利用したアウトボクシングで戦績を延ばし、1952年5月19日にダド・マリノの持つ世界フライ級王座に初挑戦。15回判定勝ちを収め、日本人として初の世界チャンピオンを獲得した。その後4度の防衛に成功した世界的な活躍ぶりは、敗戦後の日本国民の希望の星となった。1955年5月30日に世界王座に挑戦するも、パスカル・ペレスに5ラウンドKO負け。その試合で引退を決めたが、その試合の視聴率は放送史上最高の96.1パーセントを記録した。通算戦績58戦48勝20KO8敗2分。引退後はカーンの言いつけを守りボクシングビジネスからは一線を引いていたが、1995年に具志堅用高と「白井・具志堅スポーツジム」をオープンしその名誉会長を務めた。肺炎で80歳没。

2004年
【自然災害】「スマトラ沖地震」

1900年以降2番目というマグニチュード9.1を記録し、インドネシアを中心にインドネシア、インド、タイ、スリランカ、ミャンマー、マレーシア、モルディブ等で合計22万人の死者を出した未曾有の災害「スマトラ沖地震」が発生。

2006年
【死去】ジェラルド・R・フォード(Gerald Rudolph Ford Jr.)【政治家・弁護士/アメリカ合衆国】

前大統領リチャード・ニクソンの汚職(ウォーターゲート事件)による辞任を受け、1974年8月9日に副大統領から第38代アメリカ合衆国大統領に昇格した共和党の政治家。同年11月に現職大統領として初めて訪日し、初めて昭和天皇に接見した人物としても知られている。前大統領ニクソンへの全面的な恩赦を発表したことが原因で、1976年の大統領選でジミー・カーターに敗れたといわれている。動脈硬化症と脳血管障害により93歳没。