『トゥールーズ=ロートレック作「Portlait of Marcelle」』

1968年12月27日は、当時京都国立近代美術館で行なわれていた「ロートレック展」から、人気作品『Portlait of Marcelle』、通称“マルセル”が盗まれた日である。
時価3,500万円以上という資産価値の名画であっただけに、大きな社会問題となった。また、同時に展示されていた時価1億円以上の『The Lady Of The Star Harbour』に手が付けられていなかったため、純粋に“マルセル”のファンによる犯行とみられていた。懸命の捜査にもかかわらず、3日後に現場近くからその額縁が発見されただけで、現場に遺された足跡の他には手がかりもなく、捜査は混迷を極め、そのまま1975年12月27日に時効を迎える未解決事件となる。そして時効成立後の1976年1月、大阪市の会社員宅から自宅に“マルセル”があると新聞社に通報があり、盗まれた名画は7年ぶりに発見された。会社員は「京都の中学教論から預かったもので、中身を確かめずに保管していた」と語り、その中学教論は「知人からの預かりものであるが詳細は言えない」と語った。時効のためこれ以上の詳細が明かされることはなかったが、マルセルは1976年2月27日に貸し主のフランス・トゥールーズ=ロートレック美術館に無事返却された。先天性の奇形を含めたその独特な風貌と、享楽的な生き方で、美術史に於いても一際強烈な存在感を放っているロートレックだけに、その作品が観たものを狂わせてしまうこと自体にはなんの不思議もない。しかし、その“奇妙な7年間の物語”を知ることができないのは、実に“不幸”である。

(画像はPublic Domain)

12月27日の不幸

1987年
【スポーツ事件】「横綱双羽黒失踪」

立浪親方から注意された大相撲第60代横綱・双羽黒が激怒し失跡。その際に女将への暴行もあったと報道されたために大きなスキャンダルとなった。その後の関係者の説得も失敗に終わり、12月31日に親方が廃業届を提出し、双羽黒は横綱在位8場所という短命横綱として廃業。原因は師弟間の不和であったとされる。

1992年
【死去】大熊元司【プロレスラー・大相撲力士】

伊勢ヶ浜部屋に入門し、1957年5月場所で大熊として初土俵。1958年11月場所から崎錦と改名するも、1962年に廃業。同年5月に日本プロレスから大熊熊五郎としてプロレスデビュー。その後本名の大熊元司にリングネームを変更し、グレート小鹿との"極道コンビ"でアメリカを転戦。1967年にはテネシー州のNWA世界タッグ王座を獲得するなど活躍を見せ、1972年に帰国後は全日本プロレスに参戦。小鹿とのコンビで数度にわたりアジアタッグ王座を獲得するなどいぶし銀の活躍をみせた。晩年はラッシャー木村、永源遙らと"悪役商会"を結成。ジャイアント馬場とのほのぼのとした抗争で同団体のバラエティ化に一役買ったが、現役で活躍中の1992年12月27日に急性腎不全で死亡。没年51歳。業界きっての酒豪として鳴らした大熊だけに、その飲酒癖が死因ともいわれている。