『DVD「白い巨塔」のジャケット』

1978年12月28日は、役者の田宮二郎が猟銃で自殺した日である。
1966年の映画『白い巨塔』に主演するなど、若くして大映映画のスターとして活躍していた田宮だったが、サイドビジネスでの負債や舌禍事件による大映からの解雇など、精神的な苦痛の果てに双極性障害を患うようになっていた。
それは自らが率先して実現に動いたテレビドラマ版の『白い巨塔』の制作中でも障害となり、鬱状態の田宮の奇行は収録現場でも度々問題となったという。
そんな状況であったが、財前五郎の死を描く最終回は、自らの提案で遺書をしたためてくるなど、勝新太郎が絶賛するほどのリアリティを持ったものとなり、田宮の代表作と呼ぶに相応しい作品となった。
しかし、その放送日が、作品の終幕がやってくる前に、自らの人生に幕を引いたのだった。
実際の死に際しても関係者に遺言を残し、趣味のクレー射撃で使用していた猟銃を抱いて、足の指で引き金を引いたといわれている。
その死後、2度の放送回を残していたドラマ『白い巨塔』は主演俳優の自殺というこれ以上ない話題性で、30パーセントを超える記録的な視聴率をあげた。
周囲の人間の言葉によれば、田宮はドラマ版『白い巨塔』撮影後、あまりに入魂し過ぎたせいか、これからどうしていいかわからないというような状態になっていたという。
「どうしても財前五郎の死まで演じきりたい」との思いで実現させた一世一代の作品であったが、俳優は、その先の猟銃自殺までを描いていたというのであろうか?

(写真はDVD『白い巨塔』1966年映画/発売=角川書店)

12月28日の不幸

1931年
【自殺】マルコム・ホイットマン(Malcolm Whitman)【テニスプレイヤー/アメリカ】(つづきから)同月に、16歳の娘・メアリーを肺炎で亡くしていたばかりだった。
1931年
【自殺】マルコム・ホイットマン(Malcolm Whitman)【テニスプレイヤー/アメリカ】1898年〜1900年にかけて全米オープンテニス男子シングルスで3連覇を成し遂げた世界的テニス選手。1900年に始まったデビスカップの最初のアメリカ代表チームの一員でもあった。引退後の1931年12月27日に『Tennis Origins and Mysteries(テニスの起源と謎)』なる著書を出版したが、その翌日、神経衰弱のため自宅アパートから飛び降り自殺した。没年55歳。(つづく)
1938年
【自殺】フローレンス・ローレンス(Florence Lawrence)【女優/カナダ・アメリカ】(つづきから)1937年、ローレンスは、「貧血と鬱病を引き起こす骨疾患」と診断され、おそらく現在の骨髄線維症、骨髄疾患であったが、当時としては不治の病であったために、翌年12月28日にウェスト・ハリウッドの自宅で服毒自殺した。没年52歳。
1938年
【自殺】フローレンス・ローレンス(Florence Lawrence)【女優/カナダ・アメリカ】1900年代初頭のユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現ユニバーサル・ピクチャーズ)の映画で活躍した映画黎明期のスター女優。最初の夫で映画監督のハリー・ソルターの作品を中心に、トーキー時代も含め250本以上の作品に出演した。(つづく)
1981年
【死去】横溝正史【小説家】『八つ墓村』『犬神家の一族』等、金田一耕助を主役とした探偵小説のシリーズで知られる、昭和の日本を代表する推理小説家。結腸ガンで79歳没。
1982年
【死去】岸田森【俳優】俳優座所属の俳優であり、女優の岸田今日子の実兄。劇団同期の女優・悠木千帆(樹木希林)と結婚したことでも知られているが、4年で離婚。人生唯一の主演映画に1977年公開の『歌麿 夢と知りせば』がある。食道ガンで43歳没。
1983年
【事故死】【怪死】デニス・ウィルソン(Dennis Carl Wilson)【ミュージシャン・アメリカ】(つづきから)私生活では内向的で暗い一面もあり、1969年のシャロンテート殺害事件当時にチャールズ・マンソンの後見人であったことでも知られる。生来、アルコール依存症に悩まされ、泥酔してガラスに手を突っ込み、演奏できなくなった時期もあり、最後も友人のヨット・エメラルド号の甲板から泥酔状態で海に飛び込み死亡した。没年39歳。
1983年
【事故死】【怪死】デニス・ウィルソン(Dennis Carl Wilson)【ミュージシャン・アメリカ】1960年代に爆発的な人気を誇ったサーフ・ロック、ウエストコースト・ロック・バンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」のドラマー、作曲家として活躍したロック・ミュージシャン。1977年にはビーチ・ボーイズのメンバー初のソロ・アルバム『パシフィック・オーシャン・ブルー』をリリースした。(つづく)