『1929年の南方熊楠』

1941年12月29日は、菌類学の世界的大家である南方熊楠が死亡した日である。
その膨大な知識にもかかわらず、生涯定職に就くことなく在野での研究にその身を費やした熊楠は、奇行の多い、いわゆる“奇人”として認識されていたが、イギリス滞在時には『ネイチャー』誌に寄稿するほどの世界的にみても特殊な知識を持った研究家であり、生涯で50本以上もの論文を同誌に掲載した(『ネイチャー』誌でも最高の本数)。
そしてその最期は、医者を呼ぼうとした周囲に対して「今見えている花が消えてしまうから」と制して死んでいったという。
生前、幻覚や幽体離脱を数多く体験していたという奇人らしい最期であった。
ちなみに熊楠の脳は現在も大阪大学医学部にホルマリン漬けとして保存されているが、その海馬に萎縮が認められており、それが幻覚を作っていたとされる。

(写真はWikipedia南方熊楠より使用。Public Domain)

12月29日の不幸

1982年
【自殺】パーシー・ウィリアムズ(Percy Alfred Williams)【陸上競技選手/カナダ】1928年アムステルダムオリンピック男子100メートル走、200メートル走で金メダルを獲得したカナダ出身の世界的短距離ランナー。1932年に引退し、保険代理業等に従事した。晩年の1979年にカナダ勲章を受章した頃から深刻な関節炎に苛まれ、自らの頭に銃弾を撃ち込んで自殺した。没年74歳。