『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー作「リルケの肖像」1906年』

1926年12月29日は、オーストリアを代表する詩人、ライナー・マリア・リルケが薔薇の棘に刺された傷が元になって死亡した日である。
世紀の彫刻家、オーギュスト・ロダンとの師弟関係やセザンヌ、ボードレールなど時代を代表する才能たちとの邂逅から『ロダン論』を始め『マルテの手記』『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』等数多くの著作を残したリルケだが、その死に際しても美しい詩作を遺した。1926年10月に薔薇の棘が突き刺さった傷が原因となり急性白血病となったリルケは、フランス、ヴァル・モンのサナトリウムに入院し、その年の12月29日に死亡した。その際の遺言は墓碑銘となっている。

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter soviel Lidern.

ああ薔薇よ、純粋な矛盾、欲望、誰もその下で眠ることはできないだろう美しさよ

そう刻まれた墓石の下で、詩人は永遠の眠りについたのである。

(写真はWikipedia Rainer Maria Rilkeより使用。Public Domain)

12月29日の不幸

1982年
【自殺】パーシー・ウィリアムズ(Percy Alfred Williams)【陸上競技選手/カナダ】1928年アムステルダムオリンピック男子100メートル走、200メートル走で金メダルを獲得したカナダ出身の世界的短距離ランナー。1932年に引退し、保険代理業等に従事した。晩年の1979年にカナダ勲章を受章した頃から深刻な関節炎に苛まれ、自らの頭に銃弾を撃ち込んで自殺した。没年74歳。