「日本人が私の脳を買い取りたがっている」 8年間で少年少女52人を切り刻んで食べた“ロストフの切り裂き魔”アンドレイ・チカチーロ

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■アンドレイ・チカチーロ 世紀の連続殺人鬼の悲しい生い立ち

・「強姦・カニバリズム洗脳」を受けた少年時代

 アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロは1936年10月16日、ソビエト社会主義共和国連邦のウクライナ共和国スムスカヤ州ヤブロチュノア村に誕生した。生まれつき水頭症を患い、そのため、泌尿器と生殖器が正常に機能せず、”夜尿症”や”射精はできるタイプの勃起障害”などの後遺症が残ったと見られている。

 ソ連の最高指導者ヨシフ・スターリンが人工的に起こした大飢饉の直後に生まれた彼は、母親から、「人々が飢餓のあまり人を食べていた」「アンドレイが幼いころに兄が食べられた」という話を繰り返し聞かされ育った。

 さらに、1943年に妹が誕生しているが、その頃父親は赤軍に徴兵されていたため、占領していたドイツ軍兵に母親が強姦され妊娠したものと見られており、アンドレイは暴行の一部始終を間近で見た可能性が高いと伝えられている。

・インポの噂が駆け巡った青年時代

 1949年、ナチスの捕虜となった父親は結核を患いながらも無事生還したが、ソビエト政府は戦死しないものは裏切り者だとし、アンドレイは学校で酷いいじめを受けるようになった。その反動か、アンドレイは共産主義青年同盟のメンバーになったが、精力みなぎる男子の輪に入っていくことができず、仲間はずれをくらっていたという。

 15歳の時、アンドレイは年下の女性と性交渉をする機会を得たのだが、勃起できず、挿入することなくダラダラと射精した。自信喪失に陥った彼を女性は笑い、あっという間に「アンドレイはインポだ」という噂が流れ、アンドレイはこの上ない屈辱を受けるようになった。

 1955年、アンドレイは自分をバカにした奴を見返すためにモスクワ大学で法律を学ぼうと受験したが失敗。兵役を経て1960年、忌まわしい思い出しかないウクライナを捨て、ロシアのロストフ近くの町に移り住み、電話修理工として働き始めた。一緒に移住した妹と共に暮らすようになった彼は、心配症の妹に紹介された3歳年下の地元の女性と交際し結婚。相変らずインポだったため挿入する性交渉はできなかったが、射精はできたため妻を妊娠させることはでき、2人の子どもをもうけた。

・内なるサディズムが芽生えた成人時代

 この頃のアンドレイはソ連共産党員であり、飲酒やDVもすることなく、給与をきちんと妻に渡す良き夫、良き父親であり、一家の暮らしは安定していた。時間があればマルクス主義やロシア文学などの勉強をし、通信教育で学士号を取得。教師の資格をとり、1971年、中学校教師に転職した。順調な人生を送っているかのように見えたが、いくら自慰行為をしても、頑張ってもインポは治らず、心の中にはドロドロしたものが渦巻いていた。

 34歳のアンドレイは希望を持って教壇に立ったが、生徒は彼のことをバカにした。教室でタバコを吸う生徒もいた。絶望に襲われたアンドレイは、生徒たちの男女交際を目の当たりにし、苛立ちを覚えるようになる。「自分はインポなのに生徒たちは“性春”を謳歌している」と、胸を抉り取られるような気持ちになったのだ。1970年代初め、アンドレイはとうとう、その怒りを生徒にぶつけ始めた。か弱い女子生徒と男子生徒にわいせつ行為をするようになったのだ。このことは学校中に知れ渡り、校長は彼をクビにした。しかし、面倒なことを避けるため罪に問わなかったため、アンドレイはすぐにシャフトゥイという町で第33職業訓練学校の教師の職に就くこができた。しかし、ここでも生徒にバカにされまくられ、憤りを抱えたアンドレイは、前の学校でのわいせつ行為時の快感が忘れられず、「弱いものを性的に支配したい」と強く妄想するようになっていった。

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