【聖橋乱丸の陰謀社会学】

【ココ掘れ埋蔵金】練馬区に眠る金銀財宝!? 江戸時代から伝わる幽霊話と密接な関係も!

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■心霊スポットになった、三宝寺池

 だが江戸時代頃からこの伝説では、三宝寺池で豊島泰経も一緒に死んでいることになっており、池には幽霊が出るという話になったのである。明治時代の奇譚書によると、江戸時代の話として、この三宝寺池の幽霊姫の話が掲載されている。

 三宝寺池のほとりで若い男女が逢引きをしていると、池が急に明るくなり中央に白い馬に乗っている美しい姫が浮かび上がった。姫が男性を手招きすると、逢い引きをしていた男性は、何かに吸い寄せられるように池の中に入っていった。後には女性だけが残され、彼女は家に帰りお婆さんにことの顛末を話した。するとお婆さんは、すぐに家の扉を閉めて家じゅうに塩をまき清めようとしたが、翌朝女性も男性同様池の中へ…。女性は、夢遊病者のように歩きながら「金の鞍が呼んでいる。池の中に城がある」とつぶやいていたという。

 だがこの話は、単なる幽霊話では終わらない。このような話が流布されるときは、この地域の為政者が“なんらかの理由”によって、人を近づけないために噂を流布している場合が多いのだ。しかし、すべてがフィクションであれば、民衆をだませないため、幾分かの真実がありその真実の上にフィクションを重ねてこのような話に仕立て上げるのである。

 では、江戸幕府がこの時代に三宝寺池に人を近づけたくなかった理由は一体何であろうか。


■幽霊話が出た理由とは?

 これには二つの理由がある。一つは、江戸城を作った太田道灌という人物に対する嫉妬であろう。しかしそれくらいの嫉妬心だけでこのような幽霊譚が幕末まで400年も続くはずがない。もう一つの理由が重要だ。その理由とは「水」である。

 北条氏が関東に覇を唱えたにもかかわらず、小田原を出なかったのは江戸が水に恵まれていなかったという事情がある。城下町を大きくするためには、多くの土地と水が必要だが、江戸は今でいえば関東ローム層であり、水はけがよく治水には多大な労力が必要だった。その地域に築城された江戸城は、もともと低湿地帯にできた城であり、現在の新橋の方向はほとんど海であったという。映画『男はつらいよ』シリーズの舞台である柴又は、もともとは低湿地帯で「島また島」が略されて「柴又」という地名になったという由来もある。土地の足りない江戸城は、その土地の多くを埋め立てることによってできた。

 しかし、埋立地に井戸を掘っても、海水が混じってしまう。そのため江戸を城下町にするにあたり、幕府は優良な湧き水を多く川に流すことにした。中でも現在の杉並の善福寺池、そして石神井の三宝寺池は優良な江戸市民の水源地だったという。それでも足りなかったために玉川兄弟に玉川上水を掘らせたことは有名だ。その水源地から石神井川、および善福寺川を流し、玉川上水を誘致し、江戸の広大な土地の飲み水を確保したのである。

 その水源地に人を近づけ寄らせないのは江戸の治安上必要なことだ。特に疫病などが流行した時には、きれいな水を確保するのが重要になってくる。例えば「神田明神」も江戸城の拡張によって移転させられたが、これは水を汚されないよう、より神聖なものを置くことによって不用意に人を近づけず、神社の神官に管理させるということがあげられる。そして三宝寺池と同じように「平将門の怨霊伝説」が存在し、不用意に近づけば祟られるという構造になっているのである。まさに「人を近づけない」陰謀が存在していたのである。

 人が近づかないようにしていたため、現在も「豊島家の財宝」は三宝寺池に沈んだままということになるだろう。すでに600年も前の財宝であるため、金銀以外は腐敗している可能性もあるが、それでも夢のある話だ。

 だが、それだけに多くの人の念が詰まっている場所であり、石神井公園は現在でも心霊写真などが撮影できるスポットとして有名である。これら怨霊伝説、および本物の心霊現象に負けず、豊島家の財宝を探すことができるのか。この本物を探すということに関してロマンはあるが陰謀社会学の範疇ではないので、皆さんの判断にお任せする。
(聖橋乱丸)

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