【閲覧注意】ウェストリー・アラン・ダット 最恐ペドフィリア小児性愛事件。欲望と拷問の記録

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■何度逮捕されてもすぐに釈放されるウェストリー

 このように、ウェストリーは子供たちへの性的いたずら、性的暴行で頻繁に逮捕されるようになったのだが、被害を受けた子供たちの親が「これ以上事件のことを根掘り葉掘り聞かれたら深いトラウマになってしまう」と裁判沙汰にすることを嫌ったため、刑務所に入ることは滅多になかった。入ったとしても「精神的な病気なのだから」と専門家の治療を受けることを勧められ、すぐに釈放されてしまう。ウェストリーは「幼児や子供たちにいたずらして性的欲求を満たしても、大した罪にはならない」と確信し、さらに高い快感を得たいと切望。性的欲求を満たしてくれる幼児や子供たちが死ぬ姿を見たいと願うようになった。


■子どもが苦しむ姿を見たいという欲望がエスカレート

 この究極のファンタジーをウェストリーはノートに綴っている。そのノートには、「頭にビニール袋をかぶせるという当初の計画より、口にダクトテープを巻いて黙らすというのがいいかもしれない。そして、時が来たら洗濯ばさみで鼻をつまむ。自分はその子の前に座り、写真を撮り、リラックスしながら息絶えるのを見ることができる。首にロープを巻いて絞め殺したり、自分の手で力を込めて絞殺するよりもずっといい。首にあとも残らないし、何よりも顔を、瞳をはっきりと見つめることがでいる」などと書かれており、子供が苦しみ死ぬ様子を見て性的興奮を得たいという欲望が芽生えたことがはっきりと分かる。ノートには拷問台まで描かれており、頭の中は完全に殺人鬼の思考回路になっていた。

torturerack.png実際に使用されたとみられる拷問台「murderpedia」より

 これまで性的ないたずら、マイルドな性的暴行しかしてこなかったウェストリー。しかし、性犯罪を重ねていくことで、「もっともっと快感を得たい」とエスカレートし、究極の欲求を満たすためには子供を殺すしかないと思いつめるようになっていった。殺人鬼になる覚悟ができた彼は子供たちに優しい言葉など一切かけず、高圧的な態度で威張り散らし命令をした。捕まえた子供を縛りあげ自作の拷問台で苦しめた。殺しを決意してからも、しばらくは誰も殺さず性的暴行だけを加えていたのだが、「もっと拷問したい。傷つけたい。食べてしまいたい」と歪んだ欲望は膨らむ一方だった。

 1987年、26歳になったウェストリーは子供を殺す決心をする。最初に目をつけたのは林の中で一人で遊んでいた8歳の少年だったが失敗に終わり逃げられた。一人だと思っていたが少年の母親が近くにいたのだ。母親は警察に通報しウェストリーはまた逮捕された。しかし、幼児、子供への性犯罪歴がいくつもあるにも関わらず、ウェストリーはまたもや禁錮118日と1年間の保護観察処分という軽い処分ですんでしまった。刑務所内で日記をつけていたウェストリーは、殺すターゲットのことを「あの子」とは書かず「あれ、これ」とまるで物のように表現するようになり、「早く家に戻りたい」と子供を殺す日を待ち焦がれた。

コメント

1:匿名 2019年10月17日 20:01 | 返信

いろいろ思うところはあったのに最終的に「キリスト教はクソ」になった。

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