【日本怪事件】離婚話で逆恨みした男が復讐にやって来る…悲劇的残虐事件!! ~犯罪を繰り返した男の心の闇~

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■最初の殺人

 バス停の待合室に、森川がいた。2人で話したいという森川。ハツメさんもそれを承知した。「子供が可愛くないんか。帰ってきてくれ」「子供は私が引き取りますから、もう別れてください」と言葉を交わした直後。森川は懐から切り出しナイフを取り出し、「ええい、くそ」と言って、祥子さんの脇腹と胸を指した。少し離れたところからそれを見たハツメさんが駆け寄る。森川はハツメさんにもナイフを向け、胸や腹を突き刺した。

 2人とも、救急車で病院に運ばれた。祥子さんは命を取り止めたが、ハツメさんは出血多量で死亡した。

 同年11月22日。尊属殺人ならびに殺人未遂で、熊本地方裁判所が森川に下した判決は、無期懲役だった。14年後の昭和51年12月8日。森川は熊本刑務所を仮出獄した。身元引受人となったのは、彼を育てた叔母夫婦である。だが、森川は、仕事もせずに朝から焼酎をあおる生活を続ける。それを叱る叔母夫婦と口論になることもしばしばだったが、昭和53年6月20日、森川は刺身包丁を持って叔母夫婦を追いかけ回し、110番通報される。仮出獄を取り消され、森川は刑務所に戻った。

 それから、5年あまり経った昭和59年2月1日、森川は再び仮出獄した。54歳の誕生日を迎えようとしていた。


■復讐ノートを綴る

 叔母夫婦に見放された森川の身元を引き受けたのは、福岡県北九州市の保護観察施設「湧水寮」であった。紹介された工事現場などの仕事へ出かけ、収入や生活費なとは寮で管理する。

 森川はここで、あろうことか、逆恨みの「復讐ノート」を綴っていく。元妻の祥子さんを初め、世話になったはずの叔母夫婦、「死刑にしてくれ」と裁判の証言で訴えた祥子の叔母など、その数は30人以上に上った。

 祥子さんの居場所は分からず、森川が狙いをつけたのが、自分が殺めたハツメさんの弟(故人)の妻、谷ミツ子さん(当時63歳)だった。熊本市の中心部から南へ20キロほどの上益城郡甲佐町で、『甲佐採石工業』という会社を経営するミツ子さん宅に、森川が押し入ったのは、昭和60年7月20日の午前2時過ぎだった。驚いて目を覚ましたミツ子さんに、「祥子はどこにおるとか。白状せんなら、殺すぞ」と森川は迫った。「知らんもんは知らん」とミツ子さんが答えると、森川は彼女を刺身包丁でメッタ刺しにした。

 同じ部屋で寝ていたのが、ミツ子さんの弟の長女として生まれ、ミツ子さんの養女となっていた、則子さん(当時22歳)だった。起き上がろうとした則子さんを、「おまえもグルだろうが」と、森川は刺身包丁で刺した。

 息絶えた2人に対して、森川はさらなる陵辱を加えようとする。「これだけじゃあ、気がおさまらん。いっそ、発見されたときに恥をかかせるため、丸裸にして部屋のどこかに吊るしちゃろう」と考えたのだ。だが、2人を裸にしたものの、靴下が血溜まりでべっとり濡れて、足元が滑って果たせなかった。2人の上にスカートやブラウスを乱暴に載せると、森川は家探しして見つけた現金40万円を奪って逃走した。

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